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2005年 12月 18日
以前、心の問題はしばしば頭痛や肩こりなどの身体症状として現れると書いた。心は自分自身に対してもごまかしがきくことがあるが、体は常に正直だ。抱えきれないほどのストレスがたまったとき、体は必ず、あらゆる手段を使ってあなたにSOSを発信し続ける。
ストレス時の目に見える反応だけではない。体はその人の「心のくせ」と、子どものころからの記憶をすべて持ち、表現しているものなのだ。 たとえば、私がアメリカで会った、子どものころに性的虐待に苦しんだ女性には、でっぷりした肥満の人が結構いた。自己の最も基本的な所有物である肉体という領域を暴力的に侵された彼女たちは、自分の周りに脂肪という鎧(よろい)をまとうことで他者との距離を広げて自分を守ろうとし、さらに「醜ければ性的対象として見られない」という思い込みも手伝って、無意識のうちに肥満という体型を選択しているケースが多かったのである。いつも背中を丸め、小さくなっている人は、「自分がスペースを取るのは申し訳ない」「自分はこの世からいなくなった方がいい」という信念の持ち主かもしれないし、背中の痛みがひどかったり、常に頭痛に悩まされている人は、過去にひどい虐待を受けた経験を意識の上では忘れていても、体が記憶していてシグナルを送ってきているのかもしれない。 私のところへ以前来た人で、いつもあごに緊張を抱えている女性がいた。歌の勉強をしていたこともあり、何年もの間教師から「あごをゆるめなさい」と言われ続けてきたが、どうしてもリラックスさせることができない。夜もひどい歯ぎしりに悩まされていた。私と一緒にあごの緊張に注意を向けるワークを行うと、彼女は、厳格な家庭に育ち、自分の言いたいことを自由に話すことができなかった子ども時代を思い出した。「言いたいことを言うとトラブルが起こる」という無意識の思い込みが、言葉にブレーキをかけるあごの緊張という形で30年以上も続いていたのだ。 こうした場合、私が使うセラピー技法のひとつ、心身のつながりを重視する「ハコミセラピー」では、あごの緊張に敬意を表することから始める。確かに、あごを緊張させていたおかげで、子ども時代の彼女は数々のトラブルから逃れることができたはずだからだ。ただ、成人して親元を離れ、その緊張がもはや必要なくなった後でも、心の「くせ」として身体が覚えおり、それが歯ぎしりなどのトラブルとなって残っていたのである。 体というのは不思議で、「緊張しててもいいんだよ」と許しを与えられると、逆にほっとしてゆるんでしまうものなのだ。彼女も緊張しているあごを受け入れることによって、「あごがゆるむ」という感覚を実感することができた。一度そういう「分かった!」という経験すると、それはその人の財産となって残る。体は元のくせで、また緊張することもあるだろうが、「あのときあんなふうにゆるんだよな」という感覚を体が覚えていれば、その場所に戻ることができるのだ。
by premacolumn
| 2005-12-18 09:51
| からだと心
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