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2007年 01月 27日
昨夜長沼で、私の尊敬する治療教育者であり舞台芸術家である川手鷹彦さんとピアニスト福田直樹さんによる、チェンバロとゲーテの詩の朗読の催しがあった。チェンバロの音色にかぶさるドイツ語と日本語の響きはとてもパワフルで、最近何故か疲れ気味の私もその瞬間だけはぱりっと元気になるほどだった。音楽の力とともに、言葉の響きそのものが持つ力を実感できた、稀有な体験だった。
このコンサートは合間に入る二人のトークも非常に面白かったのだが、そこで福田さんが興味深い話をしていた。彼はここ数年、チェンバロを抱えて全国を巡り、障害を持つ子どもたちの施設でのコンサートを300回も続けているという。そこで彼が発見したことについての話だ。 昨年生誕250年だったこともあり、いわゆる癒しの音楽として最近大変な注目を集めているモーツァルト。そのモーツァルトの音楽をまったく受け付けない子どもたちがいるという。いわゆる「自閉症」の子どもたちだ。彼らはモーツァルトが始まるとすぐに耳をふさいでしまい、コンサートの間じゅうずっと耳をふさいでいるか、ひどい子は部屋から逃れようとドアに突進したり、自傷行為に及ぶ子どもさえいるという。これはモーツァルトに限らず、他のクラシック作曲家の音楽でも大抵同じなのだそうだ。 自閉症の子どもたちと長年かかわっている川手さんの話では、自閉症の子どもたちの感受性は我々一般人の何百倍も鋭いという。たとえば自閉症の子どもに誰かが新聞を投げたら、その子の受ける衝撃は普通の人間に空飛ぶ円盤が降ってくるのと同じくらいなのだそうだ。彼らの繊細な感受性は、普通の人にとっては癒しの音色であるモーツァルトの音楽でさえも耐えられないらしい。 そんな彼らが、唯一静かに耳を傾け、場合によっては好きにさえなる音楽があるという。それは、バッハの音楽なのだそうだ。川手さんは、バッハの音楽は宇宙や天体のように完璧だという。余計な装飾音は一切なく、音の力そのもので出来ている音楽だと。 それを聞いて、深く腑に落ちるものがあった。私は本業のかたわら、ボランティアでちいさなクラシック雑誌の編集にかかわっているほどのクラシック音楽好きである。私のお気に入りはとても人間らしいベートーベンや、チャイコフスキーやラフマニノフなどのロシア音楽、ドビュッシーのピアノ曲やワーグナーのオペラなどだが、それらとは別に、バッハはこれまでずっと私の中で特別な存在だった。彼の音楽を聴いていると、自分の内側の最も深い、そしていちばん静かな部分に触れられる気がする。そしてあの完璧な旋律。「G線上のアリア」など、あれ以上シンプルで美しい完璧な音楽があるだろうか。 モーツァルトの苦悩のない響きももちろん美しいけれども、バッハには人の魂を揺さぶるような美しさがある。そして、それは深い癒しの響きなのだ。これからは、もっとバッハの音楽が癒しの面で注目を集めるようになるに違いない。そんなことを考えながら、ろうそくの灯りの下、チェンバロが奏でるバッハの旋律に耳を傾けていた。まるで自分がどこか別の空間にさまよい込んだかのような、不思議なひとときだった。
by premacolumn
| 2007-01-27 09:42
| 癒し
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