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2013年 11月 14日
私の尊敬する僧侶であり、座禅断食の創始者である野口法蔵さんが、折に触れて仰る言葉があります。それは「体の問題を解決するには心に取り組み、心の問題を解決するには体に取り組め」です。
心と身体はつながっており、切り離して考えることは本来できない……延べ数千件におよぶクライアントとのセッションを通じて、私も日々、まさに同じことを実感しています。 「心理療法」という分野は、フロイトの精神分析から始まり、そこから発展した精神力動僚法、ユング、家族療法、ポストモダン、認知行動療法などこれまで多岐にわたって発展してきました。人間の意識というものは、その気になればいくらでも複雑に分類、分析することができます。だからこそ世にはさまざま心理療法や心理学が百花繚乱ですし、その数は今後もおそらく増え続けていくことでしょう。 しかし、そうした学問としての心理学が長年にわたって忘れてきたのは、仏教や他のシャーマニックな伝統では常識であった冒頭のシンプルな叡智だと思います。その古来の叡智を取り戻すべく、近年、「ソマティック心理学」という分野が新たに発展してきました。ソマティックの「Soma」はギリシャ語が語源で、「生きている身体」「流動する身体」を意味します。ソマティック心理学には、ハコミセラピー、バイオフィードバック、ローゼンメソッドなどがありますが、本稿でご紹介するソマティック・エクスペリエンスも、そうしたソマティック心理学の流れを汲む療法のひとつです。 ソマティック・エクスペリエンス(Somatic Experiencing, 以下SE)を直訳すると、文字通り「身体の経験」になります。SEは1990年代に、米国の心理学者ピーター・リヴァイン博士によってトラウマ療法として開発されました。 トラウマは、出来事ではない トラウマを引き起こす出来事は無数にあります。ざっと挙げるだけでも、幼少時に身体的・性的・精神的虐待を受ける、事故や自然災害に遭う、暴力を受けたり目撃したりする、重い病気、医療処置、大切な人を失う……と多岐にわたります。そして、トラウマにより引き起こされる症状も、うつ、パニック、不安、不眠、フラッシュバック、悪夢、身体的不調、解離……などさまざまです。私の臨床経験では、普通は統合失調症と診断される幻覚妄想ですら、トラウマに端を発した症状であることが珍しくはありません。従って、それぞれの原因や症状ごとにトラウマ療法を組み立てるとすると、療法がいくつあっても足りないことになります。 そして、トラウマの謎は、同じ惨事を体験した人が、すべて同じようにトラウマ症状を発達させるわけではないことです。例えば2011 年の東日本大震災で、同じ場所で同じ津波に襲われて命からがら助かった方のうち、ある人は重いPTSDに悩み、別の人は元気に普通の生活を送っているというケースもあるでしょう。それが最も顕著な例は、野生動物です。野生動物は、常日頃補色動物から追われ、命の危険にさらされていますが、ウサギがオオカミに追いかけられたせいでトラウマになったなどという話は聞いたことがありません。それは何故でしょうか。 医学生物物理学博士でもありロルファーでもあるリヴァインの問題意識はここから出発しています。そして彼は、野生動物の研究を通じて、トラウマを「出来事ではなく、自律神経系の調整不全である」と定義づけました。 脅威にさらされたときに、自律神経系で起きていること 生命の危機にさらされたとき、人間は通常では考えられないような力を発揮します。「火事場の馬鹿力」という言葉があるように、すわ火事となると人間は普段なら重くてとても持てないようなたんすを持ち上げられるし、車の下敷きになった子どもを見た母親が無我夢中で車体を持ち上げることさえもできたりします。 その理由は、自律神経系にあります。脅威にさらされたとき、身体内ではアドレナリンを含む何百種類ものホルモンが瞬時に分泌され、心拍が上がり、瞳孔が狭まり、呼吸が速くなります。これらはすべて、交感神経が最大限に活性化し、全力で危機に立ち向かおうとしているサインです。 危険時に我々が取れる行動は主に「逃げる/戦う」の二種類です。この最大限に活性化している交感神経エネルギーを、逃げたり戦ったりすることによって使い果たしてしまえば、交感神経は活動を収束し、次に副交感神経が優位になって身体をゆるませ、呼吸と心拍を落ち着かせ、発汗を促し、身体は休息状態になって休むことができます。こうして自律神経系が自己調整できている限り、トラウマ症状が発達することはありません。 しかし、危険時に常に逃げる/戦うが可能なわけではありません。そのどちらも不可能なとき、生物は自動的に第3の選択肢——凍りつきを選択します。逃げられない恐怖に急に直面したとき(例えば、突然誰かが襲ってくる、道を横断中に猛スピードの車のヘッドライトに照らされるなど)は、人間(動物も)は通常、身体が固まって動けなくなります。これは生体システムが瞬時に選択する、完全に不随意の反応です。凍りつきは、衝撃の瞬間の痛みを和らげるため、あるいはわずかな生存に望みをつなぐために自然が備えてくれた身体の叡智なのです(野生動物は、動いているものしか襲わないという本能があるので、じっと動かなければ生き残りのチャンスがあります)。 この「凍りつき」が起きるとき、自律神経系の中では、交感神経と副交感神経の過剰活性化が同時に起こっています。車で例えると、ブレーキとアクセルを同時に思い切り踏んだ状態です。エンジンはフル回転しているのですが、そこで生まれるエネルギーは本来の目的(逃げる・戦う)に使われずに体内にとどまります。 この行き場のないエネルギーが出口を求めて現れたものがトラウマ症状であるとリヴァインは考えました。悪夢やフラッシュバック、パニックや不安などはすべて、交感神経の過剰活性化の現れであり、鬱や慢性疲労、離人症などは副交感神経の過剰活性化の現れであるととらえることができます。 野生動物にできて、人間にできないこと 野生動物を良く観察すると、危険が過ぎ去った後、彼らの身体は硬直から抜け出し、自然に身震いをして過剰なエネルギーを振り落としているのが分かります。つまり、凍りつきにより過剰なエネルギーが発生したとしても、それをすべて解放してしまえば、余計なトラウマにはなりません。 ひるがえって、人間はなぜその自然なエネルギーの振り落としができないのでしょうか。その答えは、人間の高度に発達した大脳新皮質にあります。人間では、思考が本能的な反応を凌駕してしまうため、エネルギーを解放するチャンスを逸してしまうのです。 ごく身近な例を挙げてみましょう。人通りの多い道路を歩いていて、何かにつまずいて足首をひねり、転んだとします。その瞬間あなたはどうするでしょうか?普通は人目を気にしてすぐに起き上がり、痛みを隠して何事もなかったかのように歩いて立ち去ろうとするのではないでしょうか。 同じ場面で、思考がもたらす余計な雑念(羞恥心など)がなく、純粋に身体反応に従った場合は何が起こるか、ここで仮のシナリオを作ってみましょう。あなたは痛みでその場にうずくまり、しばらく動けなかったはずです。じっと動かずに自分の身体を感じていると、呼吸の浅さや心拍の速さに気づくことでしょう。しばらくそうしているうちに(たっぷり5分はかかるかもしれません)、徐々に身体が震え、汗が噴き出し始めます。ひょっとしたら涙も出てくるかもしれません。それらの反応をすべてそのままにしておくと、そのうち深呼吸が起き、急にすっきりしてあなたは周囲を見回します。視界はクリアで、身体には何の不快感もなく、痛みもほぼ消えています。あなたは元気を取り戻して立ち上がり、今度こそ何事もなかったかのように歩き去ることでしょう。 このシナリオに従った場合、あなたの身体はトラウマ症状を発達させることはないでしょう。しかし、身体反応を無視して強引にその場から立ち去った場合、過剰エネルギーは行き場を求め、後から足首が激しく痛んだり腫れたりするかもしれないし、寝付きが悪くなったり夜中に目覚めたりするかもしれません。 交通事故の場合も同じです。どんな小さな交通事故でも、身体にとってはとてつもなく大きなショックなのです。それは事故後の身体にきちんと注意を向ければ明らかなのですが、事故に遭うと通常、私たちは警察や保険会社への連絡、狂ってしまった予定の立て直しなどに忙殺され、よほどの外傷がない限り身体のことは置き去りにしてしまいがちです。そして何日も経ち、すべてが一段落した後に初めてむち打ち症状に気がついたりします。 感覚こそが鍵 トラウマ反応は人間の生存自体にかかわるものです。そして上述のとおり、人間の生存を左右するのは大脳新皮質ではなく、呼吸、心拍などの自律神経活動をつかさどる脳幹です。したがって、トラウマ症状を癒すためには、爬虫類脳とも呼ばれる脳幹に働きかける必要があります。 米国に行けば英語を、中国に行けば中国語を使うことが必要なように、特定の対象と有効にコミュニケーションするためには、その対象に通じる言語を使うことが必要です。大脳新皮質は言葉を理解しますが、脳幹には言葉や思考は通じません。では、脳幹が理解できる言語とは一体何でしょうか。 それは、「感覚」です。心理療法といえば通常、思考と感情(大脳辺縁系の言語)を扱うものであり、感覚には焦点が当てられてきませんでした。「フェルトセンス」という概念で心理療法に感覚を導入したのは、ユージーン・ジェンドリンの大きな功績と言えるでしょう。SEでも、感覚世界へのアクセス手段としてフェルトセンスを用います。感覚は、言葉だけでは説明することも理解することも不可能です。なぜなら感覚は「体験するもの」だからです。チョコレートを食べたことがない人に何万語を尽くしてその味を説明しても、ひとかけらのチョコを口に入れて自分で味わったときの直接体験にはかないません。 ひとたび感覚世界に足を踏み入れると、その豊穣さに誰もが驚きます。熱い、冷たい、固い、やわらかい、痛い……などが一般的にすぐ分かる感覚ですが、じっくり感覚を味わっていくと、ふわふわする、分厚い、じんじんする、ひりひりする、ひろびろする、すっきりする……など、何千通りもの微妙なニュアンスがあります。「何も感じない」というのも、立派な感覚です(これはトラウマの活性化が高く、凍りつきが激しい人には普通に見られます)。 感覚を用いてトラウマ症状にアクセスし、未完了の衝動を安全に解放していくと、大きな変容が起こります。固まっていた身体が芯からゆるみ、不安が安らぎに代わり、視野が拡がり、恐怖が消えてワクワク感が現れ、孤独感がなくなって人とのつながりを求めるようになります。こうした変容が起こるとき、トラウマは人生最大の悲劇から、より良い人生を送るためのひとつのきっかけへと変化するのです。 身体の叡智こそがスピリチュアル SEに出会ってもう何年も経ちますが、身体の叡智に直接アクセスすると癒しはこれほどまでに簡単に起こるのかという驚きを、私は今なお日々のセッションで感じ続けています。鬱で7年間薬を飲み続けていたクライアントが、SEセッションを受け始めて3ヶ月で薬をすべてやめることができ、半年で仕事に復帰したり、解離性人格障害のクライアントが、SEセッションを続けているうちに少しずつ別人格が消えていき、最後に自分の本人格だけになったりしたこともありますし、SEセッションを1回行っただけでリストカットが止まるケースも珍しくありません。どれもこれも、トラウマ症状を神経系の過剰活性化の現れと見なせば、ちっとも不思議な話ではないのです。 そして、SEのうれしい副産物は、セラピストとしての自分が疲れないことです。セラピスト自身のアジェンダや先入観、仮説は一切必要なく、目の前にいるクライアントの身体の叡智を100パーセント信じればいいだけだと、彼らの目先の症状がどんなに重くても、それによって動揺することがなくなります。逆に、こんなに重い症状を抱えているのに日々生き続けられる相手に対する畏敬の念で満たされ、クライアントの皆さんから元気をいただくこともしょっちゅうです。 身体につながるとは、非常にスピリチュアルな体験でもあると言えます。つい最近も、SEセッションを「スピリチュアルカウンセリング」と呼んだ新しいクライアントがいましたが、SEのセッションでスピリチュアルな体験をすることは珍しくありません。エックハルト・トールが言うように、思考が自我の食料であり、自我が人間の苦しみの原因だとすれば、身体感覚に意識を向け、思考をバイパスすることで自分のエッセンスにつながれるのもまた、当然のことなのです。 (日本トランスパーソナル学会ニュースレター 2013年1月号掲載)
by premacolumn
| 2013-11-14 06:30
| トラウマ
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