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2009年 08月 26日
(北海道臨床心理士会ニュースレター 09年3月号より)
05年に帰国し、札幌にカウンセリングルームを立ち上げてから早いものでこの春で丸4年になる。お陰様で運営は順調で、毎週ほぼ満員である。心理士の開業というと日本ではまだハードルが高いのかもしれないが、私が在籍していたカリフォルニアの大学院は教授陣全員が開業心理士だった。「成功する個人開業」という選択科目があったくらいだし、資格試験の内容も受験者が個人開業の心理士として独り立ちできるだけの資質を厳しく問うものだった。従って資格取得後に個人開業を目指すのは私にとって(というか私の大学院仲間は皆そうだったと思うが)ごく当たり前のことだった。これから開業を目指す若い方にとって、私の体験が何かのお役に立てればと思う。 言うまでもないが、開業する際に最も大切なのは臨床家としての技量である。学校や病院と違い、安くない料金を自腹で払うクライアントが対象の個人開業では、技量のないカウンセラーの元へは彼らは2度と戻ってこない。そして、臨床家としての資質は残念ながら、指定大学院を出て臨床心理士の資格を取得しただけでは絶対に身に着かない(カリフォルニアでは大学院修了後毎週スーパーヴィジョンを受けながら3000時間の実習〔通常フルタイムでも2年以上かかる〕を積まないと資格試験さえ受けさせてもらえない)。技量を磨くためには、SVと実習はもちろんのこと、さまざまな技法の中から自分に合うものを見つけ、それについて専門的な訓練を受けることが不可欠である。私はユング派からナラティブセラピーまでさまざまな療法をかじった後、自分のスタイルに一番合ったふたつの身体心理療法のトレーニング(ハコミセラピーとソマティック・エクスペリエンス)をそれぞれ2年間と3年間受けた。自分がこれと思うオリエンテーションを見つけるためには、心理士としての経験が浅い段階でなるべく多くの技法に触れてみることをおすすめする(ひとつの技法を長く学んだあとにまったく別の技法を身につけるのは、かえって困難である)。 上記とも関連するが、自分の専門領域をはっきりさせることも、個人開業する上では非常に大切である。あらゆる悩みのジャンルをすべて網羅しているようなカウンセリングルームのHPをたまに見かけるが、あれもこれもできると掲げるのは、結局どれも中途半端だと言っているに等しい。私はトラウマ療法(特に性的虐待や交通事故や災害の後遺症など)が専門なので、トラウマの後遺症で悩み、これまで病院やカウンセラーめぐりをして適切な助けを得られなかったクライアントが、インターネットで私を探して全国からいらっしゃる。 そして、もうひとつ大切なのが、自分の能力の限界を見極める力である。そしてそれに関連して、良いリファー先を開拓すること。一定期間通っているクライアントに何の進展も見られなければ、それはカウンセラーとしての自分の能力不足であり、漫然とセッションを継続するのは倫理に反すると私は考えている。私は信頼できる精神科医(これが非常に少ないのですね)はもちろんのこと、自助グループやマッサージセラピスト、鍼灸師に至るまでさまざまな場所にクライアントをリファーする。こうしたネットワークづくりは、良い個人開業には欠かせない。 その他、宣伝のノウハウや開業セラピストとしてのセルフケアなど、お伝えしたいことはたくさんあり、とてもここでは書ききれない(中略)。個人開業は本当に楽しいし、セラピストとしての醍醐味を何よりも味わえる職種だと思う。同じ志を持つ方が一人でも増えることを願っている。 人気ブログランキングへ 2008年 11月 27日
最近、やりきれない事件が続く。そして、その事件の背景に対する世間一般のとらえ方(つまりマスコミ報道ですが)の浅さにもまた、やりきれなくなる。大抵の事件の背後にはトラウマが関係しているのに、そういった視点から読み解く報道もないし、そもそもトラウマの本質を世間がほとんど理解していないと思うと、いたたまれなくなってしまう。
ここ数日の最も大きなニュースは、厚生省元幹部の殺人容疑者の逮捕だ。容疑者が動機として「子どもの頃飼っていた犬を保健所に殺された」ことを挙げているのに対し、突拍子もない動機だと世間はとらえているようだ。でもそういう捉え方は、トラウマの本質というものをまったく理解していない。 私は日々多くのクライアントと接している経験から、子ども時代に自分の留守中に黙ってペットを保健所に連れていかれたり、親から「保健所に連れて行け」と言われてやむを得ず自分の手で可愛がっていた動物を保健所に連れて行ったりすることが、子どもの心にどれほどの大きな傷を残すかを知っている。そして、トラウマの大きな特徴は、トラウマを受けた時点でその人の時間が止まってしまうことだ。この事件の容疑者にとっても、彼の時間は彼の大切な犬を保健所に連れていかれた数十年前のままで止まってしまっていたに違いない。 大抵のケースでは、そうした人生を変えてしまうようなつらい出来事があっても、その後成長していく過程で良い恩師やパートナー、友人に巡り合い、少しずつその傷を癒しながら前へ進むことができる。しかし、中にはそういった資源をその後の人生でまったく手にすることができない人がいる。 彼はおそらく、犬が子ども時代の自分の唯一の友人だったのかもしれない。友達がたくさんいて、家族の愛にも恵まれた子どもが、何かのきっかけでうっかり保健所に犬を連れていかれたというようなケースではおそらくなかったのだろう。きっと親も、そのことが本人にとってどれほどの傷になったのかに気づかなかったに違いない。そもそも、それに気づくような親であれば、犬を保健所に連れていく前に別の選択肢を考えただろうし、仮にやむを得ず保健所に連れていくにしても、彼の分かる言葉できちんと彼に対して説明しただろう。そういうケアがない中で、突然自分の一番の親友を失うということは、小さな子どもにとっては目の前で人間の友達が射殺されるのと同じくらいの衝撃である。そして、何度も言うが、トラウマを受けた人間にとって、時間はその時点で止まってしまう。「何をそんな昔のことを今さら」ではないのだ。そもそも、犬を殺されたことの恨みの矛先が保健所-厚生省へ向くことこそまさに、子どもの論理の飛躍(とても40代の人間の思考回路とは思えない)とは言えないだろうか。殺人はもちろん許されるものではないが、彼がそこまで傷ついていることに、彼がもっと若いときに周囲の人間が気付いて適切なサポートを差し伸べられなかったことに対しては、本当にやりきれなく思う。 同じく、トラウマにまつわる別の事件が今朝の朝刊に小さく出ていた。元タレントの女性が交際相手の背中を刺して殺したという事件の判決の記事だ。被告の女性は、交際相手からの暴力を受けていたといい、「刺した記憶がない」と話しているという。トラウマを日常的に受けている人間が、何かのきっかけでエネルギーが暴走し、解離状態の中で犯罪を起こすことはよくある。これはすべて、トラウマというショックに対する身体の反応がなせる技なのだ。私のトラウマ療法の師ピーター・リヴァイン博士は、こう述べている。 ・・・レイプされた女性がショックから抜け出すとき(それは何か月も何年も後のことがよくあります)、彼女たちはしばしば、加害者を殺したいという騒動を感じます。彼女たちが実際に加害者を殺す機会を持つ場合もあります。こうした女性たちの中には、時間の経過のせいで計画性があるとみなされ、裁判で「謀殺」の罪を宣告された人もいます。そこで起きたと思われる生物学的な反応に対する無理解から、不当な処罰が行われた可能性もあるでしょう。こうした事件を起こす女性たちの多くは、動揺する硬直反応から抜け出す際に体験する、深い(そして遅延性の)怒りと反撃の自己防衛反応を行動に移していたのかもしれません。こうした報復は生物学的に動機づけられたのであって、必ずしも計画的な復讐とは言えないでしょう。こうした殺人事件の中には、トラウマ後のショックを効果的に治療することで防げたものもあるかもしれないのです。 (ピーター・リヴァイン著「心と身体をつなぐトラウマ・セラピー この事件でも被告は懲役2年6か月の実刑判決を受けたという。まさにトラウマに対する無理解から、さまざまな悲劇が世の中では起きている。多くの専門家もまだ、トラウマの仕組みを本当には理解していないのが現状だ。少なくとも医療や福祉、心理にかかわる人々の間で、トラウマに関する真の理解が常識になる日が早く来てくれることを心から願う。 人気ブログランキングへ 2008年 11月 24日
こういうことを書くと風当たりが強くなるのは分かっているが、日本の心理臨床のレベルは米国に比べてはるかに遅れていると思う。私はカリフォルニアのサイコセラピスト資格(州資格)と日本の臨床心理士資格の両方を有しているが、日本へ帰国して3年半が経ち、その臨床レベル、カウンセラーとしての訓練の水準、専門家としての意識レベルの差をますます痛感する今日この頃である。
日本の心理臨床が遅れているのは、この分野の歴史の浅さや資格制度の違い、法的な裏付けのなさなど多くの要因がからまっており、もちろんやむを得ない部分もあるが、それにしても米国との水準があまりにも違いすぎるので呆然とすることが多い。今日はそのひとつの例として、数週間前に手元にほぼ同時に届いた、日米の心理士会の会報の中身を取り上げてみようと思う。 まずは日本の臨床心理士会の雑誌の目次を記してみる(カッコ内は内容)。 《日本臨床心理士会雑誌》08年9月号 ●巻頭言 ●資格関連情報(資格法制化へ向けての取り組みに関する報告) ●研修・研究会報告(心理士会主催の3つの研修会に関して、こういうことが行われたという報告。これに全体で32ページと最も多いページ数を割いている。誰からこういう事例の報告があった、この分科会ではSSTの研修を行ったという、文字通りの報告) ●委員会等の活動から(心理士会が行っているセンター運営、電話相談、意識調査、米国視察に関する報告) ●様々な活動や会合から(河合隼雄追悼シンポジウムの報告、世界乳幼児精神保健学会世界大会の参加報告、ロールシャッハ国際学会の参加報告) ●都道府県士会だより(二つの県の心理士会から、活動状況の報告) ●研修会情報(心理士会主催の4つのワークショップの案内、関連学会や研究会の案内) ●役員会記録 ●臨床心理センターだより(ホームページや電話相談、研修会などの紹介) ●事務局情報(事務局法人化についてのお知らせ、各都道府県心理士会の連絡先一覧、会員数の報告など) ●編集後記 ・・・以上である。一見して明らかなように、行われた研修会に関する報告や、心理士会の活動報告が主で、一度ぱらぱらとめくったら二度と読む必要を感じないような内容ばかりである。それでは次に、私が所属するカリフォルニアの心理士団体、CAMFT(California Association of Marriage and Family Therapist)の会報の目次を見てみよう。 《The Therapist-CAMFT Magagine》08年9・10月号 ●会長挨拶 ●理事の紹介(写真つき) ●編集者への手紙(会員からの前号の内容に対するコメント投稿) ●州法改正に関する最新情報(資格に関する法律、高齢者虐待の通報に関する法律、守秘義務に関する法律など、心理士の活動に関連する法律のほぼ40項目にわたる改正点の解説) ●連邦政府の動きに関する最新情報 ●CAMFTの倫理基準の改正(クライアントとの性的接触を禁じる項目に、クライアントの直系家族も含めるようになったことや、ネットや電話を通じたセラピーの注意点、記録記載に関する変更点など、かなり細かい10項目以上の変更点の解説) ●自傷他害の恐れのあるクライアントと守秘義務についての再考(危害を受ける恐れのある第三者に対しての警告義務などに関しての弁護士の解説) ●カウンセリング機関と、個人開業における守秘義務の問題について(7ページに及ぶ詳しい解説) ●CAMFT奨学金・助成金について(奨学金・助成金の応募受付と応募資格に関するお知らせ) ●CANFT顕彰の推薦について(心理臨床分野に大きな貢献をした会員を表彰する制度に、候補者を推薦するよう呼びかけるお知らせ) ●CAMFT主催の研修会のお知らせ ●懲戒処分(法や倫理規定に触れる行為により、資格停止や剥奪処分を受けたセラピストの情報) ●癒しと変容のための映画(毎号、ひとつの映画を取り上げて、そこに出てくる登場人物の心理状態や家族のダイナミクスを解説するコーナー。ちなみに、映画の登場人物を題材とする診断のトレーニングは、米国の大学院の精神病理学の授業でも一般的に行われる。今号はロバート・レッドフォード監督の1980年の映画「普通の人々」。これは私の大学院の授業でも取り上げられた映画なので、興味深く読みました) ●開業セラピストのためのマーケティング(これも毎号の連載。今回は、メディアに取り上げられるためのヒントについて) ●力動する精神(今号から始まった新連載で、毎回ひとつの事例をとりあげて、それを精神力動学の視点から解説するもの) ●心と薬物(これも新連載。向精神薬を服用しているクライアントに対応できるよう、向精神薬を使っているクライアントの事例を実際にとりあげて薬の解説をするコーナー。初回は4ページにわたり、抗うつ剤について詳しく取り上げている) ●Professional Exchange(毎回、さまざまな専門分野を持つ会員が、自分の専門分野について解説するコーナー。今回の特集は、いかにも米国らしいが、戦争から帰還した兵士とその家族へのカウンセリングについて、8人の心理士が非常に細かく臨床実践や統計的データ、実際のワークのガイドラインなどについて報告した記事が4本掲載されていた。全部で13ページ) ●セラピストの自己学習のコーナー(後述します) ●書評(会員が出版した本を取り上げて紹介するコーナー。今号は4冊紹介) ●各支部の連絡先一覧 ●クラシファイド(求人情報41件、その他のサービス広告8件、グループセラピーの情報17件、インターン情報19件、開業オフィスのレンタル情報94件、開業権を売ります情報2件(これは、引退するセラピストからオフィススペースやその人のクライアントをそっくり引き継ぐもの)、求職情報4件、オフィスを探しています1件、スーパーヴィジョン情報3件、ワークショップのお知らせ6件) ・・・以上である。書き写すだけでも疲れました(笑)。こちらの雑誌は、私のように個人開業する一方でスクールカウンセラーとして活動したり、かなり重度のトラウマを抱える人へのグループセラピーを行ったりしている現役の心理士にとって、すぐに役立つ情報が満載である。法律改正などは今は米国で働いているわけではないので必要ないにせよ、抗うつ剤を飲んでいるクライアントには毎日のように会っているし、いろいろなケースの事例は読んでいて本当に勉強になる。それから、これは今度別にきちんと取り上げようと思っているが、おそらくCAMFT会員の中で最もよく読まれているであろう箇所が、「懲戒処分」欄なのだ。こちらは、さまざまな理由で資格を剥奪されたセラピストの情報が、実名と処分理由を明記して掲載されている。これは、セラピストとしての自分の仕事を振り返り、自分を戒める上で本当にためになる。 そして、最も特徴的なのが、「セラピストの自己学習」のページである。MFTの免許は、2年ごとの更新制で(臨床心理士は5年ごと)、次回の更新までに36単位のCEU(Continuing Educatio Unit、専門家としての水準を維持するための継続研修のユニット)を取らなければならないことがカリフォルニアの法律で定められている。これは、CEUの単位として認められたさまざまなワークショップやトレーニングを、合計36時間取るのだが、そのうち18単位までは、自己学習が認められている。この号を読んで、内容についての6つの質問に答えるレポートを提出すれば、それで3時間分のCEUになるのだ。 つまり、最初からこの雑誌は、セラピストとしての研修と自己学習を目的に編集されていることになる。読んだだけで学習になり、ためになるのは当たり前なのだ。そしてこれを読むことによって資格維持に必要な単位まで取れるような仕組みになっている。 この雑誌に限らず、私は、米国で受けたセラピーのトレーニングのノートや教材を、今でも毎日のように見返している。なぜなら、現地でのトレーニングは本当に実践的だからだ。大学院のあらゆる授業とインターンシップが、「いかに一人前の臨床家になるか」を目的としてデザインされている。だから、現地での心理士資格試験は、臨床家として最低限独り立ちできるような資質を厳しく問うものだし、いったんライセンスを取得してからも、こうした雑誌や、無数の追加トレー二ングによって常に自分の臨床技術を磨けるようになっている。 ちなみに、日本の臨床心理士会にも資格更新のためのポイント制度はあるが、こちらは会が主催の研修会へ出席しなければポイントが取れない。他の団体がいくら役に立ちそうな家族療法やグループ療法の研修会を開いても、そこへの参加は資格更新のポイントには何の関係もないのだ。おまけに、こういっては何だが、心理士会主催の研修会は、米国で訓練を受けた私の目から見ると、ちょっとその質に首をかしげたくなるものが多い。なぜもっと他の学会や団体を巻き込むことを考えないのだろうかと思う。カリフォルニアでCEUが取れるワークショップは、それこそほとんど無数にある。 ごく不定期の更新にはなるが、これからしばらく、私自身の体験を通じた、日米のカウンセリング業界の違いについて考えていきたいと思う。 <追記> 最近心理士認定協会の規定を読んでみて、心理士会主催以外の学会やワークショップでもポイントを取れることが分かった。でもワークショップの場合は事後承認だったりと使いづらさには変わりない。 人気ブログランキングへ 2008年 06月 14日
(北海道ダルクニュースレター 08年6月1日号より) 私は以前、米国に6年ほど住んだことがある。カウンセリングの勉強をするためであり、その6年間には専門分野から私的なことまで、実にさまざまなことを学んだ。米国という国は日本とは比較にならないほどの貧富の差やホームレス問題、ドラッグや暴力の問題を抱え、どこから見てもユートピアなどでは決してないが、それでも、異国の者を受け入れ、居場所を与え、人生について考えさせてくれる懐の深さは確かにあったように思う。 そうした米国で学んだことの中で私にとっておそらく最も重要で、かつ大きな衝撃だったメッセージがある。それは、「誰かに助けを求めるのは、強さである」ということだ。 ふだん我々はこの国で、それとはまったく逆のメッセージを受け取っている。おそらく誰もが、成長過程で親や教師から「人様に迷惑をかけないように」と言われたことがあるだろう。「大人になる」ということは、人に頼らず、どんな問題が降りかかっても騒がずに自分で処理できる人間になること・・・こんな風に考えている人は多いのではないか。 でも、考えてもみて欲しい。あなたが何か深い苦しみを抱えているとする。でも、それを誰にも相談できない。助けを求めるのは自分のプライドが許さないし、周囲に迷惑をかけたくない。あなたは1人で何とかしようともがく。しかし、もがけばもがくほどどうしようもなくなり、ますます追い詰められる。あなたは鬱状態になる。そしてどんどん思い詰め、遂にはひっそりと死を選ぶ・・・。遺された人たちは仰天する。誰もあなたがそこまで苦しんでいたことを知らなかった。そして死なれてみて初めて、あなたが深刻な問題(借金、失業、病気、人間関係のトラブルetc)を抱えていたことを知る。彼らは深い衝撃を受け、悲嘆に暮れる。何故気づいてやれなかったのかと自分たちを責める。あなたの死は周囲の人たちにとって深い傷となって残る。 …さて、この場合、「苦しいから助けて欲しい」と騒ぐのと、黙って死んでしまうのと、結果的に、どちらが周囲に対する迷惑だろうか。・・答えは自ずと明らかですね。これほど極端でなくても、人間は一人で問題を解決しようとするとどんどん悪循環に陥り、ついには自分や他人を傷つけてしまうことになりがちだ。助けを求めない方が、結果的にはよほど迷惑なことなのである。 「助けを求められる」ということは、「自分の弱さを認められるほど強い」ということだ。人間とは本来弱いものである。「弱い自分を決して受け入れられない」のは、10代の若者にはよく見られるが、決して大人の態度であるとはいえない。プライドと自分の命、一体どちらが大切なのでしょうか(こう書くと、「プライドだ」という答えも多そうなのがこの国の恐ろしいところですが(笑))。 そうは言っても、助けを求めるのは難しい。我々の多くが尻ごみしてしまうのは、おそらく過去に「助けを求めたけれど、周囲は何もしてくれなかった」「かえって騒ぎが大きくなり、余計にダメージを受けた」といった経験があるからだと思う。しかし、はっきり言いたい。それは助けを求めたあなたの責任ではなく、ちゃんとした手を差し伸べられなかった相手が悪いのだと。 私が米国で心底驚いたのは、思い切って助けを求めたときに、即座に手が差し伸べられただけではなく、「助けてって言ってくれたなんて、ありがとう。本当にあなたは偉い。素晴らしい」と、その行為を褒めちぎってもらえたことだ。それは涙が出るほどうれしかっただけではなく、私にとってどれだけの力になったことだろう。自分の弱味を見せるのは、誰だって難しい。でもそれこそが自分、ひいては周囲の人々にとってベストであるからこそ、人は勇気を出して助けを求めるのだ。それが英雄的行為でなくて何であろうか。 だから皆さんも、自分一人で抱えきれないことがあったら周囲に助けを求めて欲しい。もしその際に嫌な思いをしたとしても、あきらめずに別の人を探して助けを求め続けて下さい。助けを求めるのは、強さであり、技術である。技術は磨けば上達するものだ。最初から自転車に乗れる人などいなかったことを思い出してみよう。繰り返し練習すれば、少しずつ上手になっていくものです。あなたには周囲のサポートを受ける権利がある。あなたが幸せになることはすなわち、社会の幸福でもあるのだから。 2007年 01月 27日
昨夜長沼で、私の尊敬する治療教育者であり舞台芸術家である川手鷹彦さんとピアニスト福田直樹さんによる、チェンバロとゲーテの詩の朗読の催しがあった。チェンバロの音色にかぶさるドイツ語と日本語の響きはとてもパワフルで、最近何故か疲れ気味の私もその瞬間だけはぱりっと元気になるほどだった。音楽の力とともに、言葉の響きそのものが持つ力を実感できた、稀有な体験だった。
このコンサートは合間に入る二人のトークも非常に面白かったのだが、そこで福田さんが興味深い話をしていた。彼はここ数年、チェンバロを抱えて全国を巡り、障害を持つ子どもたちの施設でのコンサートを300回も続けているという。そこで彼が発見したことについての話だ。 昨年生誕250年だったこともあり、いわゆる癒しの音楽として最近大変な注目を集めているモーツァルト。そのモーツァルトの音楽をまったく受け付けない子どもたちがいるという。いわゆる「自閉症」の子どもたちだ。彼らはモーツァルトが始まるとすぐに耳をふさいでしまい、コンサートの間じゅうずっと耳をふさいでいるか、ひどい子は部屋から逃れようとドアに突進したり、自傷行為に及ぶ子どもさえいるという。これはモーツァルトに限らず、他のクラシック作曲家の音楽でも大抵同じなのだそうだ。 自閉症の子どもたちと長年かかわっている川手さんの話では、自閉症の子どもたちの感受性は我々一般人の何百倍も鋭いという。たとえば自閉症の子どもに誰かが新聞を投げたら、その子の受ける衝撃は普通の人間に空飛ぶ円盤が降ってくるのと同じくらいなのだそうだ。彼らの繊細な感受性は、普通の人にとっては癒しの音色であるモーツァルトの音楽でさえも耐えられないらしい。 そんな彼らが、唯一静かに耳を傾け、場合によっては好きにさえなる音楽があるという。それは、バッハの音楽なのだそうだ。川手さんは、バッハの音楽は宇宙や天体のように完璧だという。余計な装飾音は一切なく、音の力そのもので出来ている音楽だと。 それを聞いて、深く腑に落ちるものがあった。私は本業のかたわら、ボランティアでちいさなクラシック雑誌の編集にかかわっているほどのクラシック音楽好きである。私のお気に入りはとても人間らしいベートーベンや、チャイコフスキーやラフマニノフなどのロシア音楽、ドビュッシーのピアノ曲やワーグナーのオペラなどだが、それらとは別に、バッハはこれまでずっと私の中で特別な存在だった。彼の音楽を聴いていると、自分の内側の最も深い、そしていちばん静かな部分に触れられる気がする。そしてあの完璧な旋律。「G線上のアリア」など、あれ以上シンプルで美しい完璧な音楽があるだろうか。 モーツァルトの苦悩のない響きももちろん美しいけれども、バッハには人の魂を揺さぶるような美しさがある。そして、それは深い癒しの響きなのだ。これからは、もっとバッハの音楽が癒しの面で注目を集めるようになるに違いない。そんなことを考えながら、ろうそくの灯りの下、チェンバロが奏でるバッハの旋律に耳を傾けていた。まるで自分がどこか別の空間にさまよい込んだかのような、不思議なひとときだった。 2006年 06月 27日
先日、スクールカウンセラーの研修会に行ってきた。テーマは発達障害で、二人の現役のスクールカウンセラーが自分が過去に関わった事例を発表し、それに別の専門家がコメントするという形式だった。事例を聞くのは、他の人たちが現場でどういう風に苦労しているのかが分かるし、コメンテーターの助言もおおむね非常に参考になるものだった。ただ、ひとつ非常に違和感を覚えたことがあった。
コメンテーターのコメントが、「ここはこうした方が良かった」というある意味批判的な助言ばかりで、うまく行った介入やカウンセラーの努力が実を結んだ部分に対する肯定的な承認が全然なかったのだ。平たく言えば、まったくといってよいほど相手を「ほめない」のである。経験豊富な先達から見れば未熟な面もあったかもしれないが、それでも彼ら2人はそれぞれ自分にできることを精一杯現場で行い、良い面もたくさんあったのに。 その「ほめない批評家たち」を見ながら私の脳裏によぎったのは、記者一年目にある先輩の元で働いたときのことだった。彼はその部署のキャップだったので、書いた原稿は毎日、デスクに出稿する前に彼に見せる。その時に彼から返ってくるフィードバックは「こういう書き方では伝わらない」「ここはこう書き直した方がいい」という「改善命令」ばかり。一度たりとも、わずか一行でも「ここはよく書けてるね」といったほめ言葉が彼の口から出たことはなかった。もちろん私は文章が下手な未熟な記者ではあったと思う。しかし、一箇所も良いところがないほどひどい記事を書いていたということはいくらなんでもなかっただろう。 そうした日々が続いたある日、原稿を書き上げた私は「またけなされるのか」と思うとうんざりして、キャップの目を通さずに直接原稿を出してしまった。もちろん、後で嫌味を言われたのは言うまでもないが。毎日毎日、ネガティブなコメントばかりを聞いていると、だんだんその人に相談を持ちかけることがつらくなる。そして何でもこっそり影で処理してしまうようになる。 これとは対照的な経験もしたことがある。私がサンフランシスコで最も長くインターンをしていたあるカウンセリングNPOの上司は、シャーリーという日系アメリカ人だった。大学院在学中は、学校からインターン先の上司にあてて学生の仕事ぶりの評価レポート提出を求める手紙が届くようになっている。本来ならばもちろんシャーリーが記入して大学院に返送するものなのだが、彼女はそれを私に記入させた。確かいろいろな項目を5段階評価する形式のレポートだった。 自分の評価というのは、大変難しい。自信のなかった私はほとんどの項目を、平均かそれ以下にしてシャーリーに出したと思う。それを見たシャーリーは個人スーパーヴィジョンの時にその用紙を持ち出した。そして何故そういう自己評価を下したか私に説明を求めてきた。 「インテーク面接で私はこういう所が足りないと思った」「学校の実習では、こんなところがうまくいかなかった・・・」等々自分を「批判」する私に、彼女は、「でも、あの時はこんな風に上手くいったわよね」「あなたのこういうところが良くできていると思うんだけど」と私の良いところをすべて「承認」するコメントをくれた。結局、レポートの評価は大幅に底上げされて、学校へと送られたのだった。そうすることで、私が自分に抱いていたマイナスイメージもちゃんとスーパービジョンの中でプロセスしてくれたのだ。 この件に限らず、彼女はいつでも私の良いところを見つけてほめ、力づけ、励ましてくれた。こういう上司だと、個人ミーティングの時間がとても楽しみになってくる。そして、どんな失敗も隠さずすべて相談するようになる。一度初期の対応をミスしてクライアントの家族とトラブルになった時も、私は何のためらいもなく彼女のところへ報告に行き指示を仰いだ。上司との間に信頼関係がなかったら、マイナスの評価を恐れて何とか自分で処理しようとし、結果的に傷を深めていたことだろう。日本の会社でよくある隠蔽体質はこうして生まれる。 いろいろな場所ですでに数限りなく言われていることではあるが、日本はとかく「減点社会」だ。相手の欠点を見つけてそれを指摘し改善させることが教育だと思っている。私の家庭環境、教育環境もずっとそうだった。故に自分が以前の仕事で後輩を持った時にもおそらくそうした態度で接していたのではないかと、今になって当時の後輩に本当に申し訳なく思う。 教育とはそういうものではないんだと最初に実感したのは、アメリカの大学院に入った時だった。毎週提出するレポートも、学期末のペーパーも、どの教師もこれでもかというほど肯定的なコメントを書いて返してくれる。私は当時すでに30歳を過ぎていたが、それでもほめられるとこんなにうれしいものかと思った。自分が苦労して書いた文章だから尚更である。おそらくたくさん英語のミスもあったと思うが、そんなことよりも教授陣は内容で評価できる部分をいつも見つけてくれたのだ。ほめ言葉が必要なのは子どもだけではない。 けなされるというのは、別の側面もある。批判され続けている人の中には、あまりにもそれに慣れてしまい、批判以外のコメントに耳を貸せなくなる人がいる。たまにほめられても、それを素直に受け取れなくなる。ほめられると怒る人さえいる。ほめ言葉というのは、自分の中に沁みこんでいき、それがだんだんと自信につながってゆく心の栄養なのに、その栄養を拒絶し、吸収できなくなってしまう。結果として、人間に一番必要な本当の意味での自尊心が育たない。そうすると、常に人と自分を比べてしまい、他人より優れていると思わないと自己肯定感が持てない人間になってしまう。 今、アメリカ時代の後輩の相談に乗ることがあるが、日本の職場で上司の心ない言葉に傷ついている人が多くて心が痛む。「あなたは臨床家に向いてない」「やっぱり私がやらなくちゃ駄目ね」等々・・。彼らの話を聞いていると、日本のカウンセラーは本当に後進を育てようという意志があるのだろうかと疑問に思ってしまう。 「あの子にはこんなに悪いところがあるから、何とか指摘して良くしてあげなければ。私以外に指摘してくれる人もいないだろうし」というのは、愛情のようで実は愛情ではない。本当の愛というのは、常にその人の中の最良のものを見ること、そしてそれを伝えることだと思う。私は、最良の上司とは、「自分の失敗をまったく隠さずに相談できる人」だと信じている。それには、シャーリーのような愛情が必要不可欠ではないだろうか。 私は今でも、渡米のたびに必ず元のインターン先を訪れ、シャーリーとおしゃべりする。逆に昔日本で働いていた時のキャップには、帰国後ばったり街で出会ったが、気づかなかったふりをして通り過ぎてしまったことがある(笑)。 さあ、あなたはどちらのボスになりたいですか? 2006年 01月 02日
最近、新聞の投書で、心が痛む記事を読んだ。小学生の頃に通りすがりの若い男から性犯罪の被害を受け、それを誰にも言えずに自分の胸にしまってきた女性が、20代に入ってからようやく学生時代の恩師や精神科医のカウンセリングでそのことを打ち明けた。そうすると、返ってきたアドバイスはどれも「誰にも口外しないように」「過ぎたことだから忘れなさい」「墓場まで持っていきなさい」というものだったという。しかも、それを口にしたのは皆女性の専門家だったという。
性的被害の被害者は、本人にはまったく責任はないのに、自分が汚されてしまった感覚、「自分は他の人とは違う」という負い目に悩み、大抵の場合誰にも打ち明けられずに1人で長期間苦しむ。上記の女性のように、誰かに話せるようになるまで十数年もかかることは珍しくない。そして、ようやく勇気を出して打ち明けても、無理解な専門家から不適切な対応をされることでさらに傷ついてしまう。 専門家から傷つけられるというのは、ある意味、性犯罪そのものよりも悪質だ。性犯罪の被害者が、それを打ち明けるまでにどれほどの心の葛藤があるかご存知だろうか。それほどの勇気を振り絞って助けを求めたのに、そこで共感を欠いた対応をされれば、被害者は絶望し、もう二度と助けを求めようとはしなくなるかもしれない。つまり、彼女ら(彼ら)の人間不信はさらに強まり、癒しへの道はそこで断ち切られてしまう。 「言葉にする」「助けを求める」というのは、強さの表れであり、回復への大きな一歩である。その強さを称賛せずに、彼らの言葉を封じ込めるような対応をするいわゆる「専門家」がまだ存在するのは悲しい。一部の専門家にとっては、性犯罪、性的虐待は未だにタブーの領域なのだろう。うろ覚えだが、以前、ある高名な精神科医がどこかに書いたものを読んだことがある。昔、彼が診察中にある女性から子ども時代の性的虐待についての話を聞いていたときに、「先生、この話は何年か前にもしたのですよ。そのとき先生は、何も答えずに話を別の話題に移されました」と言われたという。そして、精神科医本人はその「何年か前の会話」についての記憶がまったくなかったということだ。それくらい、現在はその方面の第一人者である治療者にとってさえも、かつては性的虐待というものは意識下に押し込めたくなるほどのタブーだったのだろう。その方は男性だから、まだそれは理解できる。ただ、本来誰よりも被害者の味方でなくてはならないはずの女性の援助者にそういう人がいるのは本当に悲しいことだ。 残念ながら、性的被害に遭った人が1人で回復していくのは難しい。その癒しの過程には、信頼できる専門家の助けが必要不可欠だ。その意味で、専門家への助けの道を断ち切るような言動を行う専門家の罪は重い。世の中には、まだ少数かもしれないが、トラウマやPTSDに関するきちんとした知識を持つ本物の専門家もいる。そして、トラウマからは必ず回復できるのだ。被害に遭われた方が、良い治療者を探してもう一度助けを求めることを心から願う。 2005年 12月 18日
以前、心の問題はしばしば頭痛や肩こりなどの身体症状として現れると書いた。心は自分自身に対してもごまかしがきくことがあるが、体は常に正直だ。抱えきれないほどのストレスがたまったとき、体は必ず、あらゆる手段を使ってあなたにSOSを発信し続ける。
ストレス時の目に見える反応だけではない。体はその人の「心のくせ」と、子どものころからの記憶をすべて持ち、表現しているものなのだ。 たとえば、私がアメリカで会った、子どものころに性的虐待に苦しんだ女性には、でっぷりした肥満の人が結構いた。自己の最も基本的な所有物である肉体という領域を暴力的に侵された彼女たちは、自分の周りに脂肪という鎧(よろい)をまとうことで他者との距離を広げて自分を守ろうとし、さらに「醜ければ性的対象として見られない」という思い込みも手伝って、無意識のうちに肥満という体型を選択しているケースが多かったのである。いつも背中を丸め、小さくなっている人は、「自分がスペースを取るのは申し訳ない」「自分はこの世からいなくなった方がいい」という信念の持ち主かもしれないし、背中の痛みがひどかったり、常に頭痛に悩まされている人は、過去にひどい虐待を受けた経験を意識の上では忘れていても、体が記憶していてシグナルを送ってきているのかもしれない。 私のところへ以前来た人で、いつもあごに緊張を抱えている女性がいた。歌の勉強をしていたこともあり、何年もの間教師から「あごをゆるめなさい」と言われ続けてきたが、どうしてもリラックスさせることができない。夜もひどい歯ぎしりに悩まされていた。私と一緒にあごの緊張に注意を向けるワークを行うと、彼女は、厳格な家庭に育ち、自分の言いたいことを自由に話すことができなかった子ども時代を思い出した。「言いたいことを言うとトラブルが起こる」という無意識の思い込みが、言葉にブレーキをかけるあごの緊張という形で30年以上も続いていたのだ。 こうした場合、私が使うセラピー技法のひとつ、心身のつながりを重視する「ハコミセラピー」では、あごの緊張に敬意を表することから始める。確かに、あごを緊張させていたおかげで、子ども時代の彼女は数々のトラブルから逃れることができたはずだからだ。ただ、成人して親元を離れ、その緊張がもはや必要なくなった後でも、心の「くせ」として身体が覚えおり、それが歯ぎしりなどのトラブルとなって残っていたのである。 体というのは不思議で、「緊張しててもいいんだよ」と許しを与えられると、逆にほっとしてゆるんでしまうものなのだ。彼女も緊張しているあごを受け入れることによって、「あごがゆるむ」という感覚を実感することができた。一度そういう「分かった!」という経験すると、それはその人の財産となって残る。体は元のくせで、また緊張することもあるだろうが、「あのときあんなふうにゆるんだよな」という感覚を体が覚えていれば、その場所に戻ることができるのだ。 2005年 09月 24日
今回はちょっと趣向を変えて、椅子の話。
札幌にカウンセリングルームを開いて半年が過ぎた。時の経つのは本当に早い。自分のセラピールームを立ち上げるのは、長年の夢だったこともあり、とても楽しい作業だった。特に楽しかったのが、部屋のインテリアを考えることだ。サンフランシスコのインターン先ではずっと、椅子と観葉植物の鉢がひとつ置いてあるだけの殺風景な面接室でセラピーをやってきたので、これでやっと私の思い通りの部屋が作れる!と、帰国が決まってからは寝ても覚めても部屋のインテリアを考えていた気がする。 アメリカでは、自分のセラピストやスーパーバイザー達のさまざまな個人開業のオフィスを見る機会があった。内装に気を使うセラピストの部屋と、そうでもないセラピストの部屋は、入った瞬間に区別がつくものである。もちろん、何より大切なのはセラピストとしての力量に違いないから、別にインテリアに凝る必要はないかもしれないが、セラピーというのは場の雰囲気も含めてセラピーであるから、部屋の雰囲気は悪いよりも良いに越したことはない。訪ねたことのあるオフィスの中でも、いくつかの部屋はとても印象に残っている。良いセラピールームというのは、照明が明るすぎず暗すぎず、いるだけでほっとくつろげるのに、部屋を出た後にあまり詳細を思い出せないような、とんがった主張のない部屋だと私は思う。私のスーパーバイザーの一人、シンシアの部屋もそういう部屋だった。彼女は、部屋の壁まで自分で塗ったといい、彼女のセラピールームは淡いオレンジの壁と、くすんだ色のソファと、たくさんの観葉植物やさりげなく置かれたアンティークの小物などが、何ともいえない安らぎを醸し出していた。でも部屋の詳細はよく覚えていない(笑)。 前置きが長くなったが、自分の部屋を整えるにあたって、一番頭を悩ませたのが、私が座る椅子をどういうものにするかであった。アメリカでは、どっしりした革張りの、かなり重厚な回転椅子にセラピストが座っているのをよく見かけた。確かにドクターがよく座っているような、権威あふれる感じの椅子である。しかし私は、あまり威圧感のある椅子には座りたくなかった。前にも書いたが、セラピーはセラピストが上からものを言ったり、アドバイスを与えたりする場所ではない。私ができるのは、クライアントの方と同じ場所に立って、二人で同じ方向を見ることだ。一人よりも二人の方がよく見えるので、クライアントが探しているものを、「あ、あそこに何か見える気がするけど、船かな?」「こっちの方角に島があるみたいだよ」などと、一緒に探すお手伝いをするだけだ。そんな自分に、威圧的な椅子が必要とはどうしても思えなかった。かといって座り心地は妥協したくない。カタログもいろいろ見てみたが、どうもぴんと来るものがない。 考えあぐねていた時、たまたま大阪でインテリアデザイナーをしている友人と話す機会があったので、北海道で家具を買うなら、どこがいいか聞いてみた。友人がすすめてくれたのは、ある旭川家具のメーカーだった。さっそく札幌のショールームに行って、そこにあった目ぼしい椅子にすべて座ってみた。その中で、座面が広く(私はよく椅子の上であぐらをかくので、座面が広い椅子の方がありがたいのである)、座高が低く(クライアントの方が座るソファと同じ目線にするため)、軽くて移動にも便利な肘掛け椅子を見つけた。椅子の張り地は、何百種類もの布や革から選べたので、いくつかサンプルの布を持ち帰り、毎日眺めつつソファとのバランスをいろいろ考えた結果、薄いベージュの布に決めた。家具をセミオーダーしたのなど、生まれて初めてである。 何週間か待ったのち、手元に届いた椅子は、予想通りしっくりとセラピールーム全体の雰囲気になじんでくれた。座り心地もいいが、何より何の変哲もない外観がいい。この椅子は以来、私の仕事の重要なパートナー役を果たしてくれている。今はまだ真新しいけれど、古いもの好きの私としては、私と一緒に年を重ねて、早く使い込んだ雰囲気にならないかなあと楽しみにしているのである。 2005年 07月 14日
帰国後間もない今年3月下旬、札幌のある集会の後援者の一人として名前貸しを頼まれた。「肩書きは何にしましょうか」という先方に、私の持つカリフォルニア州の資格に沿って「サイコセラピストにしたいのですが」というと、「?」という顔をされた。やはり、「サイコセラピー」といっても、まだまだ日本では通りが悪いらしい。結局「心理カウンセラー」ということで落ち着いた。その流れで、自分のオフィスの名称も、しぶしぶ「カウンセリングルーム」を採用することにした。
アメリカでも私の知る限り「カウンセリング」と「サイコセラピー」はほぼ同義語として使われているので、別にこだわることもなさそうであるが、どうも「カウンセラー」と名乗るのには抵抗がある。counselという英語は本来、「年長者や専門家からのアドバイス」という意味だ。だから「キャリアカウンセリング」「進路カウンセリング」などという文脈で使われる場合には文字通りの意味になるが、いわゆる「カウンセリング(心理療法)」の場合は、語義と実態が一致していないと思うからである。 症状が重い人に精神科の受診をすすめたり、不眠の人にカフェイン摂取量を減らしてみるように言ったりすることはもちろんあるが、心理療法の本来の目的は、アドバイスを与えることではない。カウンセラーの最大の仕事は、クライアントが自分の一番深い部分とつながり、恐怖心や目先の損得勘定(それは大抵奥底にある不安感から出てくるものである)、あるいは周囲の思惑にしばられない、その深いコアの部分から、そのときに自分が一番必要としていることを自分自身で決定するお手伝いをすることであると私は信じている。どんな人の中にも、その内なる叡智はそなわっている。人は本来、自分で自分を癒す力を持っているものなのだ。ただ、一人でそれを行うことは非常にむずかしいので、それをサポートするウィットネス(立会人)としてのセラピストがその場にいることは大きな意味を持つ。 そうした「カウンセラー」の立場を正確に表すのには、カウンセラーという名称よりも、「心理療法をする人」という意味の、「サイコセラピスト」の方が適切だと思う。「サイコセラピー」という言葉が、日本でももっと認知されることを願う私である。 というわけで、このHPの中では、「心理療法」「サイコセラピー」「セラピー」「カウンセリング」はすべて同義語として使わせていただきます。 2005年 06月 13日
「心理療法」というと、心の問題だけを扱うものと思われがちであるが、私はそうではないと思っている。以前新聞で、腹痛でやってくる子の9割は体に異常がなく、心因性だという事実に直面した医師の経験談を読んだ。感情が未発達な子どもは特にそうだが、大人でも、心の問題を心では感じられず、代わりに腹痛や頭痛、肩こり、じんましんなど身体症状として表現する人は多い。これは日本人を含むアジア人一般の特徴である。感情を表現することに慣れていない日本人にとっては、自分がうつで苦しんでいるという事実を受け入れるよりも、「体がだるくて起き上がれない」「頭痛がひどくて会社に行けない」と身体症状に転換してしまうほうが安全だからだ。
心は、見ないふりをしてごまかしながら日常生活を送ってゆくことがある程度までは可能だが、体は実に正直だ。何かストレスがあると、ちゃんとSOSを発信してくれる。 私自身の経験を話そう。日本を離れるまで、私は新聞記者として働いていた。ある地方支局で楽しく仕事した後、東京の本社に配属になった。木造のちいさな支局から高層ビルの一室にオフィスが移り、若い記者ばかり6,7人でのんびりと楽しくやっていた環境から一挙に何十人もの先輩に囲まれる職場への急激な変化。東京のテンポの速さとオフィスの利きすぎる冷房、今までとは比べ物にならないほど競争の激しい仕事のプレッシャーなどが一挙に襲いかかってきた結果、私は全身にひどいじんましんが出るようになってしまった。それも何というか、実に「便利」なじんましんで、日中気を張って仕事している時は出ない。深夜に帰宅し、ほっと一息ついた途端に全身に蚊にくわれたような模様が広がるのだ。そして翌朝、「さあ、仕事に行くぞ」と思うとすっきりと引っ込むのである。つまり私の体は、仕事の邪魔にならないような方法で、「ちょっとストレスたまってやしませんか」と警告を発してくれていたのである。 私はといえば、その警告を無視し続け、対症療法的に皮膚科からもらった薬を飲み続けていた。が、もちろん治るはずもない。なぜなら問題は私の皮膚にあるのではなく、ストレスで疲弊した心にあったわけだから。 一年間そんな生活を続けた後、私は思うところがあって退職した。その結果どうなったか?仕事をやめたまさにその日以降、まったくじんましんは出なくなったのである。もちろん薬なんかいらなかった。嘘のようなほんとの話だ。 からだって、本当にえらいのだ。こんなにえらいからだを心理療法に使わない手はない。皆さんもそう思いませんか? 2005年 05月 06日
この2月に、7年ぶりに日本に戻った。久々に帰国してみて気づいたのは、カウンセリングや心理療法といったものが以前よりずっと身近になっていることだった。電話帳やインターネットで検索すると、いくらでもカウンセリングルームの名前が出てくる。私が初めて札幌に住んだ13年前には見られなかった現象だ。もし人々が、エステや映画に行くような感覚で気軽にカウンセリング(セラピー)を受けるようになってきたのであればとても喜ばしいことだ。しかし現実はどうもそうではないらしい。多くのカウンセリングルームは、本来の業務であるクライアントとの面接ではなく、カウンセリング講座や企業への講師派遣などが主な収入源になっていると聞いた。やはり、カウンセリングに興味はあっても、自分がかかるのには抵抗がある人がまだまだ多いのだろう。
「カウンセリングにかかる」イコール「頭がどこかおかしい人」「すごく大きな問題を抱えている人」と見られるのではないかという恐れは、実は私自身も持っていた。米国に渡り、大学院でカウンセリング心理学を学び始めた後でさえ、その偏見をしばらく引きずっていたように思う。入学後まもなく自分でもセラピーを受け始めた時、周囲には「授業の一環として通うことが義務なのよ」と言い訳していたことを思い出す。慣れない外国暮らしで専門家の助けを切実に必要としていたため、本当はそんな言い訳がなくても通っていたに違いないのだが。 結局私は、学位取得に必要なセラピー時間数をとっくに終了して大学院を卒業した後でもずっと、セラピストを変えつつ約6年間の滞米生活の最後までセラピーにかかることをやめなかった。そして滞米後半には、自分がセラピーにかかっていることを話すのに何の躊躇もなくなっていた。 その理由はまず、カリフォルニアではカウンセリングが余りにもありふれていることに気づいたからである。電話帳で「サイコセラピー」の欄を見ると、何ページにもわたり何百人ものセラピストの名前が載っている。心理学などを勉強していたせいもあってか、私の周囲ではセラピーにかかっていない人を探す方が難しかった。日常会話に自分のセラピー体験の話が普通に出るのだ。また、インターンとして自分でも働き始めてから分かったのだが、大学の留学生センターなどは、ごく気軽に日本人の学生を紹介してくる。「学業不振で気持ちも沈みがち」などという留学生がいれば、まず彼らが考えるのは日本語のできるセラピストを紹介することなのである。児童虐待で裁判所などが介入する場合も、親に問題がありそうだと判断されたらすぐに裁判所から親へのカウンセリング命令が出る。新聞の人生相談でも心理療法をすすめる回答は珍しくない。要するに「風邪を引いたなら医者へ行け」という感覚なのだ。 もうひとつには、長期間自分でカセラピーを受けてみて、いかにそれが大きな助けになるか実感したからだ。日々の暮らしの中で、ちょっとした人間関係のつまずきや大小さまざまのストレスにぶつかることは人間ならば誰しも当たり前のことである。そんなとき、何もかも一人で抱え込んでストレスをさらに大きくし、うつ病などで倒れたり失踪したりして結果的に周囲を巻き込むことになるよりも、安全な場所で信頼できる人の助けを借りてストレスを和らげ、その出来事を成長のきっかけにするほうがずっと健全なことだ。カウンセリングにかかることは、自己成長のための肯定的な試みに他ならず、コンプレックスを抱く必要は本来まったくないはずなのである。
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