|
2016年 06月 16日
(日本ソマティック心理学協会機関誌VOSS 第2号より)
「自分は、何のために生きているのだろう」「本当は生まれてきたくなかった」。生きることがつらい人は、しばしばそうした疑問や気持ちを抱く。仕事柄、実際にクライアントからそう言われることもある。つい先日も、セッション中に「もう嫌。何もかも嫌。生まれてくるのも嫌だった。ずっと(あの世に)帰りたかった」と言って号泣したクライアントがいた。皆さんはそんな時、相手にどう答えるだろうか。 現在のスピリチュアルな「定説」では、人は自分で生まれることを選んでこの世にやってくるということになっている。たとえ過酷な環境でも、虐待する親でも、それは魂の成長のために自分で選んだことなのだと。確かに人生にはそういう面もあるのかもしれない。しかし、私のセッションを受けにくるのは、普通の人が想像もつかないような過酷なトラウマを生き延びてきたクライアントたちである。そんな彼らに対して、ある意味「自己責任」的なスピリチュアル論を説いても彼らが生きる意欲を取り戻せるとはとても思えなかったが、数年前、ある個人的な体験を通じてようやく彼らに確信を持ってかけられる言葉が見つかった。それがこの文章のタイトルである。今では、「生まれてきたくなかった」とクライアントが言うたびに、この言葉と、そう確信するに至ったエピソードを簡単に話すことにしている。これまでのところ、私の話を聞いたクライアントは皆、魔法のように明るい表情になってセラピールームを後にする。同じように感じている人が、彼らのように笑顔になれることを願い、私の人生観を大きく変えたその体験についてここに記してみたい。 南カリフォルニアに、レイモンド・カステリーノ(Raymond Castellino)という周産期療法の専門家がいる。著作がないため日本はおろか米国ですら知る人ぞ知る存在であるが、ハコミセラピーのロン・クルツやSE療法のピーター・リヴァイン、ホロトロピック・ブレスワークのスタニスラフ・グロフにも匹敵する、非常にオリジナルなセラピー技法を生み出した素晴らしいマスターだと私は思う。音楽家であり、クラニオセイクラルの専門家でもある彼は過去45年間にわたり周産期トラウマを専門に扱ってきており、今までに彼のワークを受けた人は延べ三千人以上にのぼる。 そんな彼のワークの真骨頂である「Womb Surround Process Workshop」と呼ばれる5日間のワークショップに、縁あって2014年の初めに参加することができた。私は米国留学中にさまざまな癒し系ワークショップやリトリート、トレーニングに参加し尽くしたいわば「癒しオタク」であるが、これまでに参加した数々のワークショップの中でも、レイのこのワークショップは群を抜いてインテンスなものだった。定員はわずか7人で、最終日をのぞいてワークは朝の9時から夜の9時〜11時まで続く(決まった終了時間を設けていないのにはちゃんと理由がある)。参加者が1人ずつ、今の自分の生き方に影響を及ぼしている早期の刷り込み(earlyimprinting)のパターンに取り組み、残りの参加者とレイとアシスタントの計8人は、その人のために安全な子宮代わりの空間を作ってそのワークをサポートする。 ワークショップのフォーマットはすべて、周産期トラウマの癒しのために注意深くプログラムされており(定員が少ないのもそのためである)、ワークの順番を決めるところからプロセスはすでに始まっている。周産期のトラウマは多数の分娩を同時に扱う病院での管理された出産(自然のリズムを無視した促進剤使用や帝王切開など)に起因する場合も多いからである。各回のワーク前には、参加者はそれが自分の番かどうか、自分の番ではないとすればそれはどうして分かるのかといったシェアをまず行う。そして、そこにいる全員が、「次は自分(彼/彼女)の番だ」と納得してからその回のセッションが始まる。 自分の番が来た人(turn personと呼ぶ)が最初に行うのは、ワークの意図(intention)を設定することである。「自分の力を取り戻したい」「自分の創造性を拓きたい」「人生に喜び、平和を感じたい」など、自分が望むことなら何でも意図として設定してよい。その意図をそこにいる全員で共有し、レイがturn personをその意図にまつわる周産期の身体的な記憶に導く。(大抵の場合、妊娠中のある時点や出産前後の時期に戻ることが多いが、私が参加したワークショップでは、受胎前の時点に戻った人もいた) そして、実際の出産時、あるいは妊娠中に欠けていた体験や未完了の衝動を、我々8人が、turn personのために安全な子宮環境を作ることによって再体験/完了できるようにサポートする。例えば、病院の都合で、まったく陣痛が来ていない段階で促進剤を打たれ、そのせいで分娩がうまく行かず、最後は緊急帝王切開で生まれた人には、彼女が自分から生まれたくなるまでとにかく待つということをする。また、セッションの中でいったんは生まれたにもかかわらず、「今の生まれ方は納得いかなかったからもう一度やり直したい」という人がいれば、彼女の「生まれ直しの生まれ直し」をサポートする。前述のように、出産トラウマには「準備ができていないのに無理矢理生まれさせられた」という時間の制限にまつわるものが多い。レイから初日の冒頭に言われたのも、「この世の時間がすべて自分のものであるかのように、時間と共にいるように」ということだった。そのためにこのワークショップは終了時間をあえて設定していない。サポートする側はさすがにへとへとになるが、こうした時間にまつわる修正体験は、我々の心身の奥深くに刷り込まれた早期トラウマの癒しには非常に重要なのである。 私がこのワークショップに参加して得た大きな気づきと学びはふたつあった。ひとつはやはり、時間に関するものだった。私は母親の陣痛が微弱だったため、陣痛開始から誕生までに60数時間を要し、最後は陣痛促進剤の助けを借りてようやくこの世に出てきた人間で(これは母子手帳にも記録されている事実である)、私が人生で抱いてきた理不尽な恐怖のひとつに、「人は私のことを待ってくれない」というものがあった。1対1のときはともかく、集団で待ち合わせをしたときには、「1分でも遅れると皆に置いていかれる」という強迫観念が常にあり、その恐怖を私は自分の出産体験に起因するもの(お医者さんたちが私が生まれてくるのを待ちきれず、促進剤を使って無理矢理私を外に出したため)だと思っていた。 ところが、レイのワークショップで実際に自分の出産前後の記憶にアクセスしたときの体験は、私のこれまでの思い込みとは異なるものだった。産道をくぐり抜けようと何度もトライしていた私がありありと感じたのは、この上なく無力な諦めの感覚だった。その時レイに、「その諦めを感じているのは誰かな?」と聞かれて初めて、私はそれが母親が感じていた感覚だったということに気づいたのである。母親は分娩のある時点で、私を産むことを精神的に諦めてしまったのだ。そして、医者が促進剤を使ったのは、母が諦めた後だったということが私には分かった。つまり、お医者さんたちはぎりぎりまで私が自力で生まれる(母が自力で産む)ことを待ってくれたのだ。そう気づくと、確かに腑に落ちるものがあった。私が生まれたのは日曜日の昼間である。もし出産が病院の都合で進んだとすれば、木曜日には陣痛が始まっていたはずだから、人手が足りなくなる週末まで待つことなく金曜日の夜までに私は外に出されていたことだろう。その事実に身体感覚を通じて気づいたことは、私にとっては大きな癒しになった。「人は私を待ってくれない」から「皆は私のことをぎりぎりまで信じて待っていてくれた」へのシフトは、本当に大きかった。あのワークからちょうど2年経つが、その間にゆっくりと内面で変化が起こり、現在の私はかつてのような理不尽な「置いて行かれる恐怖」は感じなくなっている。 ・・・ここまでは長い前置きで、ここからが、タイトルにまつわる本題である。 セッションのある時点で、レイはこう言ったのだ。 「私がこれまでワークしてきた人の中には、生まれてきたくて生まれた魂ももちろん多かったが、生まれてくることに抵抗があり、何らかの運命によって困難な人生に強制的に送り出されたと感じている魂も多かった。私もその1人だよ」 これを聞いたとき、心の底からほっとしたことを私ははっきり覚えている。生まれる前のことなど、本当のところは誰にも分からない。でも、霊能者が一般人には分からない能力を使って垣間見たあの世の話ではなく、実際に何千人もの周産期セラピーに立ち会った彼の口から出た言葉は本当に説得力があった。何故ならそれはすべて参加者の直接体験で、実際に彼ら自身が語ったことだからだ。さらに、レイ自身もそうだったというのだ(彼は第二次世界大戦中のカリフォルニアで、イタリア移民の機能不全家庭に生まれている)。 それを聞いて、私は思わずこう訊ねた。 「それで、あなたは今幸せなんですか?」 「ああ、とても幸せだよ」 齢70を超える(そして、驚くほど若々しい!)彼は、満面の笑みでそう答えてくれた。私がクライアントに確信を持って告げられる学びを得たのは、まさにこの瞬間だった。私たちは、この世に生を受けるのに、自ら望んでここに来なくてもいいということ。そして、たとえ生まれるのに抵抗があったとしても、それでも生まれた後の人生は幸せなものになり得るということ。このことを実際の体験者から直接聞いたのは、私にとってどれほどの希望になったことだろう(はい、そうです。私もレイと同類です)。 ・・・あのセッションから2年。今では私も、自分の体験としてもますます確信を持って、同じ台詞をクライアントに伝えることができている(私も今、生きていることが幸せなので)。もちろん、そう言えるようになるまでには本当にさまざまな癒しのプロセスを経てきた(おそらくレイもそうだ)。でも、この世へのエントリーが過酷だった魂にとって、それでも人生で幸せを感じることが可能なのだと知ることは、それだけでどれほどの救いになることだろう。 あなたがこの世に生まれたのは、取り返しがつかない失敗などではない。人生は、いつからでもやり直せるのだ。そう、例えば第一志望に落ちて嫌々入学した滑り止めの大学が、実は素晴らしい学校で、良い友人や恩師に恵まれて充実した学生生活を送れることだってあるように。 このつたない文章が、「本当は生まれたくなかった」魂たちにとっての、ささやかな希望になることを願いつつ。
#
by premacolumn
| 2016-06-16 21:41
| 癒し
2014年 10月 16日
(天使大学学生相談室ニュース 2014年9月号より)
今年の夏は本当に暑かったですね。9月に入ってからも、残暑が続いています。季節の変わり目、体調を崩しやすい時期です。休息や睡眠時間を意識的にたくさん取って過ごすようにできるといいですね。 褒められることの大切さ さて、最近の大きなニュースのひとつは、何と言ってもテニスの錦織圭選手の全米オープン準優勝でしたね。グランドスラムで決勝に残ったのは、日本人選手としては初の快挙だったそうです。 試合後、インターネットにあふれていた錦織選手に関する情報を読んでいて、ひとつなるほどと思ったことがありましたので、ここで皆さんとシェアしたいと思います。 いろいろな意見の中に、「彼があそこまで活躍できたのは、若いうちに渡米したせいだ」という説がありました。 彼が13歳で留学したフロリダのテニスアカデミーは、マリア・シャラポワやウィリアムズ姉妹、アンドレ・アガシなど、超一流選手が世界中から集まるところで、 50面以上あるテニスコートにはすべて監視カメラが設置され、自分の練習映像を繰り返し見ることができたり、最新の筋トレマシーンがあったり、食事環境抜群の寮があったりと、設備面での充実もさることながら、 そこを取材したアナウンサーの方によると、そのアカデミーの創設者の名テニスコーチの育成方針が「徹底的に褒めること」なんだそうです。 コーチいわく、「僕は褒めることしかほぼしないよ。スタイルなんてものは人それぞれ違う。自由に楽しんでやれればそれでいいのさ」 そして、そのアナウンサーが実際に彼からテニスをコーチしてもらったときには、30分間で少なくとも20回は褒めてもらったとのこと。 このエピソードを読んで、私は自分自身の米国での体験を思い出しました。 人は褒められ、認められると力を発揮できる 私は30を過ぎてから渡米し、カリフォルニアの大学院で心理学を学んだのですが、 その時には本当に、さまざまな先生から、とてもたくさん褒めていただきました。 大学院ではいろいろなクラスで毎週レポートを提出しなければならず、英語が母語ではない私のレポートはもちろん非常に不完全なものだったと思うのですが、 どの先生も「素晴らしい!」「良く書けている!」「感動しました」などと、必ず一言メッセージを添えて返却してくれたし、クラスで発言したときも、必ず「それは良い視点ですね」などの褒め言葉をもらいました。 インターンとして実習を始めた時も、もちろん駆け出しなのでたくさん失敗もしたのですが、 当時のスーパーバイザーは、いつも、私が自分で気づけずにいた私の良いところを探し出してくれて、たくさん褒めてくれました。 そのような環境の中で過ごして、私は、「人間、いくつになっても、褒められるってこんなにうれしいものなんだ!」ということを実感しました。そしてたくさん褒めてもらったおかげで、セラピストとして何とか自分もやっていけるだろうという自信を持つことができました。 今でも私がこの仕事を続けていられるのは、そのおかげだと思っています。 人から褒められ、認めてもらうと、自分の中に「次も頑張ろう!」というエネルギーが自然に沸いてくるし、自分自身を認めることも楽にできるようになります。 そして、自分を認めることができると、自己肯定感が強まるので、他の人を認めることもできるようになり、人間関係が楽になる・・・という、好循環が起こってきます。 あなたは、あなたのままでいい どんなにその人に良いところがあっても、何か欠点があれば、それを指摘し矯正することが教育だと思っている教育者や親は多いかもしれません。 でもそれは、心理学的に言っても、かなり効率の悪いやり方なのです。 自分の中に何かつらい部分があると、どうしてもそちらにばかり目がいってしまい、 「これさえ何とかすれば、自分は楽になるのに」と考えてしまいがちですが、実は、そういうやり方は、たいへん遠回りです。 それよりは、「今の自分の中で、すでにうまくいっていること」「自分がすでに持っている、強さや長所」を探して、それを深めて伸ばしていくことに集中すると、 つらくて苦しい場所の割合が相対的に少なくなったり、その苦しさがひとりでに解消したりして、早く自然に楽になれることが多いのです。 なので、精神衛生的には、自分の良いところを認めて、たくさん褒めてくれる人が身近にいる環境に身を置くのが一番いいですね。 そういう人がいないという方は、あえて探してまでも、褒めてもらうことをおすすめします。 「この先生は好きだけど、私の担当じゃないし・・・」「あの子とは同じクラスじゃないし・・・」などと思わず、自分のことを褒めてくれそうな先生や友人がいたら、どんどん自分から近づいていってみましょう。そして、褒め言葉を要求してみましょう。 あなたはいつだって、あなたのままでいいのです。そのままで完璧なのです。 それ以外のことを言う人の言葉は、信じなくても大丈夫です。 もし、自分を褒めてくれる人がまったく見つからなかったら・・・。 大丈夫です。その時は、自分で自分を褒めてみましょう。 どんな小さなことでもいいのです。「今日は遅刻しなかった」とか、「友達に笑顔であいさつできた」とか、「夜寝る前にちゃんと歯を磨いた」とか。 インターネットで検索したら、こんなページもありました。 このページには、自分を褒めるためのヒントがたくさん書かれていますので、よかったらどうぞのぞいてみてくださいね。 毎日、少なくともひとつ、 自分をほめてみましょう。 #
by premacolumn
| 2014-10-16 22:54
| つれづれ
2013年 11月 20日
(天使大学学生相談室ニュース 2013年11月号より)
すっかり寒くなりましたが、皆さんお元気ですか?風邪などひいていませんか? 今回は、『 休むこと 』についてのお話です。 「本当にやりたいことがあったら、まず休んでみましょう」 こう言われると、みなさんはどう感じるでしょうか? 「えー、やりたいことがあるんだから、どんどん頑張ったほうがいいんじゃない?」と普通は思いますよね。 でも実は、「休む」というのは、とても大切なことなのです。 休むと、必要なエネルギーが自然にわいてくる 人間の自律神経系には、交感神経と副交感神経があります。人が活動を始めるときは交感神経が優位になり、休むときには副交感神経が優位になります。このふたつは、相互にバランスを取って働いています。交感神経がしばらく働くと、必ず副交感神経が働き始め、人間の心身を休息する方向へ持っていこうとします。 でも、やりたいこと(あるいは、やらなければならないこと)があるからと、どんどん活動ばかりしていて、「休みたい…」という身体の声を無視していると、どうなるでしょうか? 交感神経がいつも過剰に活動して、副交感神経がうまく働かないという状態になります。その状態が慢性化すると、いわゆる「自律神経失調症」と呼ばれる状態になります。 「とても疲れて」しまうのです。 そして、あんなにやりたいと思っていたことなのに、どうもやる気が出ない・・・最近よく眠れない・・・なんだかイライラする・・・頭痛がする・・・動悸がする・・・、といったいろいろな症状に悩まされることになります。 でも、ゆっくり休むと、活動に必要なエネルギーが自然にわいてくるのです。 美術館でのできごと ここで私の体験をひとつシェアしますね。 15年前、私が英国に留学していた時、クラス旅行でロンドンのナショナルギャラリーを見学する機会がありました。 ナショナルギャラリーというのは、英国最大の美術館のひとつで、所蔵絵画は約2300点もあるそうです。もちろん、すべてが展示されているわけではないでしょうが、仮に半分の1000点しか展示されていないとしても、一日ですべての絵画を見ることはほぼ不可能ですよね。 美術館や展覧会に行ったけれども、展示作品が多すぎて圧倒されてしまい、疲労困憊して、会場を出たあとに何を見てきたのかよく思い出せない・・・という体験をした方は結構いるのではないでしょうか。 旅行前のクラスで先生から私たちが言われたのは、 「ナショナルギャラリーに着いたら、まずコーヒーショップに行って休みなさい」ということでした。 「ゆっくり休んで元気が出てきたら、各展示室をさっさと早足で歩いて、 目を惹かれる絵があったら、立ち止まってその絵だけをゆっくり見なさい。 そして同じことを繰り返しなさい」 という指示だったのです。 当日、先生の言うとおりにまずお茶を飲んで一服し、 先生に言われたとおりに絵を見たら、素晴らしい芸術体験になりました。 じっくり見た絵はおそらく15点もなかったでしょうが、ひとつひとつの絵 の印象が鮮やかで、絵の持つエネルギーをゆっくり吸収することができ、 こちらもエネルギーをもらえてとても元気になったのです。 「まず休むこと」の大切さを初めて実感した体験でした。 休むって、どういうこと? そうは言っても、「休め休めって言われるけど、休むってどうしたらいいんだろう?」と思うかもしれませんね。 現代社会では、「休もうと思っても結局何かをしてしまって休めない」「いくら寝ても疲れが取れない」という状態に悩んでいる人は結構いると思います。 つまり、じっとして横になっていれば休んだことになるかといえば、そうではないのです。 これも私の体験なのですが、「研修で一日中頭を使う仕事をしてぐったり疲れた後、夜ズンバのレッスンを受けて汗をかいたらすっきりし、その後よく眠れた」ということがありました。 「一日に何人もの人にセラピーをして疲労困憊した後、友人と会い、たくさんおしゃべりしておいしいものを食べたら元気になった」ということもありました。 皆さんにも、そういう経験はありませんか? 実は、現代人の疲労は、「じっとしていること」によって起こることが多いのです。 じっと座って授業を聴く、じっと座ってパソコンに向かう、じっと座って会議に出席する、じっと電車の席に座ってスマホに釘づけになる・・・などなど。 「じっと座ってテレビを見る」というのも、そのときは頭を空っぽにできて楽に感じるかもしれませんが、テレビを消して眠ろうとすると、目が冴えてしまって眠れなかったりします。 「静止して、視覚のみ使う」という行動は、交感神経を過剰に活性化させ、人間を疲れさせてしまうのです。 こういう疲れをとるためには、その逆をするといいです。 すなわち、「身体を動かして、視ること以外の五感を使う」ことですね。 つまり、目からの刺激をなるべく避け、 ダンスやジョギングなどで適度に身体を動かしたり、 自然の中を散歩して木や風の音に耳を澄ませたり、 庭で土いじりをしたり、 おいしいものを食べておしゃべりしたりなどです。 過剰な視覚刺激と静止で疲れたあとは、これらのことをやってから休むと、楽に休めるようになります。 皆さんも、どうぞお試しください。 #
by premacolumn
| 2013-11-20 19:00
| からだと心
2013年 11月 14日
私の尊敬する僧侶であり、座禅断食の創始者である野口法蔵さんが、折に触れて仰る言葉があります。それは「体の問題を解決するには心に取り組み、心の問題を解決するには体に取り組め」です。
心と身体はつながっており、切り離して考えることは本来できない……延べ数千件におよぶクライアントとのセッションを通じて、私も日々、まさに同じことを実感しています。 「心理療法」という分野は、フロイトの精神分析から始まり、そこから発展した精神力動僚法、ユング、家族療法、ポストモダン、認知行動療法などこれまで多岐にわたって発展してきました。人間の意識というものは、その気になればいくらでも複雑に分類、分析することができます。だからこそ世にはさまざま心理療法や心理学が百花繚乱ですし、その数は今後もおそらく増え続けていくことでしょう。 しかし、そうした学問としての心理学が長年にわたって忘れてきたのは、仏教や他のシャーマニックな伝統では常識であった冒頭のシンプルな叡智だと思います。その古来の叡智を取り戻すべく、近年、「ソマティック心理学」という分野が新たに発展してきました。ソマティックの「Soma」はギリシャ語が語源で、「生きている身体」「流動する身体」を意味します。ソマティック心理学には、ハコミセラピー、バイオフィードバック、ローゼンメソッドなどがありますが、本稿でご紹介するソマティック・エクスペリエンスも、そうしたソマティック心理学の流れを汲む療法のひとつです。 ソマティック・エクスペリエンス(Somatic Experiencing, 以下SE)を直訳すると、文字通り「身体の経験」になります。SEは1990年代に、米国の心理学者ピーター・リヴァイン博士によってトラウマ療法として開発されました。 トラウマは、出来事ではない トラウマを引き起こす出来事は無数にあります。ざっと挙げるだけでも、幼少時に身体的・性的・精神的虐待を受ける、事故や自然災害に遭う、暴力を受けたり目撃したりする、重い病気、医療処置、大切な人を失う……と多岐にわたります。そして、トラウマにより引き起こされる症状も、うつ、パニック、不安、不眠、フラッシュバック、悪夢、身体的不調、解離……などさまざまです。私の臨床経験では、普通は統合失調症と診断される幻覚妄想ですら、トラウマに端を発した症状であることが珍しくはありません。従って、それぞれの原因や症状ごとにトラウマ療法を組み立てるとすると、療法がいくつあっても足りないことになります。 そして、トラウマの謎は、同じ惨事を体験した人が、すべて同じようにトラウマ症状を発達させるわけではないことです。例えば2011 年の東日本大震災で、同じ場所で同じ津波に襲われて命からがら助かった方のうち、ある人は重いPTSDに悩み、別の人は元気に普通の生活を送っているというケースもあるでしょう。それが最も顕著な例は、野生動物です。野生動物は、常日頃補色動物から追われ、命の危険にさらされていますが、ウサギがオオカミに追いかけられたせいでトラウマになったなどという話は聞いたことがありません。それは何故でしょうか。 医学生物物理学博士でもありロルファーでもあるリヴァインの問題意識はここから出発しています。そして彼は、野生動物の研究を通じて、トラウマを「出来事ではなく、自律神経系の調整不全である」と定義づけました。 脅威にさらされたときに、自律神経系で起きていること 生命の危機にさらされたとき、人間は通常では考えられないような力を発揮します。「火事場の馬鹿力」という言葉があるように、すわ火事となると人間は普段なら重くてとても持てないようなたんすを持ち上げられるし、車の下敷きになった子どもを見た母親が無我夢中で車体を持ち上げることさえもできたりします。 その理由は、自律神経系にあります。脅威にさらされたとき、身体内ではアドレナリンを含む何百種類ものホルモンが瞬時に分泌され、心拍が上がり、瞳孔が狭まり、呼吸が速くなります。これらはすべて、交感神経が最大限に活性化し、全力で危機に立ち向かおうとしているサインです。 危険時に我々が取れる行動は主に「逃げる/戦う」の二種類です。この最大限に活性化している交感神経エネルギーを、逃げたり戦ったりすることによって使い果たしてしまえば、交感神経は活動を収束し、次に副交感神経が優位になって身体をゆるませ、呼吸と心拍を落ち着かせ、発汗を促し、身体は休息状態になって休むことができます。こうして自律神経系が自己調整できている限り、トラウマ症状が発達することはありません。 しかし、危険時に常に逃げる/戦うが可能なわけではありません。そのどちらも不可能なとき、生物は自動的に第3の選択肢——凍りつきを選択します。逃げられない恐怖に急に直面したとき(例えば、突然誰かが襲ってくる、道を横断中に猛スピードの車のヘッドライトに照らされるなど)は、人間(動物も)は通常、身体が固まって動けなくなります。これは生体システムが瞬時に選択する、完全に不随意の反応です。凍りつきは、衝撃の瞬間の痛みを和らげるため、あるいはわずかな生存に望みをつなぐために自然が備えてくれた身体の叡智なのです(野生動物は、動いているものしか襲わないという本能があるので、じっと動かなければ生き残りのチャンスがあります)。 この「凍りつき」が起きるとき、自律神経系の中では、交感神経と副交感神経の過剰活性化が同時に起こっています。車で例えると、ブレーキとアクセルを同時に思い切り踏んだ状態です。エンジンはフル回転しているのですが、そこで生まれるエネルギーは本来の目的(逃げる・戦う)に使われずに体内にとどまります。 この行き場のないエネルギーが出口を求めて現れたものがトラウマ症状であるとリヴァインは考えました。悪夢やフラッシュバック、パニックや不安などはすべて、交感神経の過剰活性化の現れであり、鬱や慢性疲労、離人症などは副交感神経の過剰活性化の現れであるととらえることができます。 野生動物にできて、人間にできないこと 野生動物を良く観察すると、危険が過ぎ去った後、彼らの身体は硬直から抜け出し、自然に身震いをして過剰なエネルギーを振り落としているのが分かります。つまり、凍りつきにより過剰なエネルギーが発生したとしても、それをすべて解放してしまえば、余計なトラウマにはなりません。 ひるがえって、人間はなぜその自然なエネルギーの振り落としができないのでしょうか。その答えは、人間の高度に発達した大脳新皮質にあります。人間では、思考が本能的な反応を凌駕してしまうため、エネルギーを解放するチャンスを逸してしまうのです。 ごく身近な例を挙げてみましょう。人通りの多い道路を歩いていて、何かにつまずいて足首をひねり、転んだとします。その瞬間あなたはどうするでしょうか?普通は人目を気にしてすぐに起き上がり、痛みを隠して何事もなかったかのように歩いて立ち去ろうとするのではないでしょうか。 同じ場面で、思考がもたらす余計な雑念(羞恥心など)がなく、純粋に身体反応に従った場合は何が起こるか、ここで仮のシナリオを作ってみましょう。あなたは痛みでその場にうずくまり、しばらく動けなかったはずです。じっと動かずに自分の身体を感じていると、呼吸の浅さや心拍の速さに気づくことでしょう。しばらくそうしているうちに(たっぷり5分はかかるかもしれません)、徐々に身体が震え、汗が噴き出し始めます。ひょっとしたら涙も出てくるかもしれません。それらの反応をすべてそのままにしておくと、そのうち深呼吸が起き、急にすっきりしてあなたは周囲を見回します。視界はクリアで、身体には何の不快感もなく、痛みもほぼ消えています。あなたは元気を取り戻して立ち上がり、今度こそ何事もなかったかのように歩き去ることでしょう。 このシナリオに従った場合、あなたの身体はトラウマ症状を発達させることはないでしょう。しかし、身体反応を無視して強引にその場から立ち去った場合、過剰エネルギーは行き場を求め、後から足首が激しく痛んだり腫れたりするかもしれないし、寝付きが悪くなったり夜中に目覚めたりするかもしれません。 交通事故の場合も同じです。どんな小さな交通事故でも、身体にとってはとてつもなく大きなショックなのです。それは事故後の身体にきちんと注意を向ければ明らかなのですが、事故に遭うと通常、私たちは警察や保険会社への連絡、狂ってしまった予定の立て直しなどに忙殺され、よほどの外傷がない限り身体のことは置き去りにしてしまいがちです。そして何日も経ち、すべてが一段落した後に初めてむち打ち症状に気がついたりします。 感覚こそが鍵 トラウマ反応は人間の生存自体にかかわるものです。そして上述のとおり、人間の生存を左右するのは大脳新皮質ではなく、呼吸、心拍などの自律神経活動をつかさどる脳幹です。したがって、トラウマ症状を癒すためには、爬虫類脳とも呼ばれる脳幹に働きかける必要があります。 米国に行けば英語を、中国に行けば中国語を使うことが必要なように、特定の対象と有効にコミュニケーションするためには、その対象に通じる言語を使うことが必要です。大脳新皮質は言葉を理解しますが、脳幹には言葉や思考は通じません。では、脳幹が理解できる言語とは一体何でしょうか。 それは、「感覚」です。心理療法といえば通常、思考と感情(大脳辺縁系の言語)を扱うものであり、感覚には焦点が当てられてきませんでした。「フェルトセンス」という概念で心理療法に感覚を導入したのは、ユージーン・ジェンドリンの大きな功績と言えるでしょう。SEでも、感覚世界へのアクセス手段としてフェルトセンスを用います。感覚は、言葉だけでは説明することも理解することも不可能です。なぜなら感覚は「体験するもの」だからです。チョコレートを食べたことがない人に何万語を尽くしてその味を説明しても、ひとかけらのチョコを口に入れて自分で味わったときの直接体験にはかないません。 ひとたび感覚世界に足を踏み入れると、その豊穣さに誰もが驚きます。熱い、冷たい、固い、やわらかい、痛い……などが一般的にすぐ分かる感覚ですが、じっくり感覚を味わっていくと、ふわふわする、分厚い、じんじんする、ひりひりする、ひろびろする、すっきりする……など、何千通りもの微妙なニュアンスがあります。「何も感じない」というのも、立派な感覚です(これはトラウマの活性化が高く、凍りつきが激しい人には普通に見られます)。 感覚を用いてトラウマ症状にアクセスし、未完了の衝動を安全に解放していくと、大きな変容が起こります。固まっていた身体が芯からゆるみ、不安が安らぎに代わり、視野が拡がり、恐怖が消えてワクワク感が現れ、孤独感がなくなって人とのつながりを求めるようになります。こうした変容が起こるとき、トラウマは人生最大の悲劇から、より良い人生を送るためのひとつのきっかけへと変化するのです。 身体の叡智こそがスピリチュアル SEに出会ってもう何年も経ちますが、身体の叡智に直接アクセスすると癒しはこれほどまでに簡単に起こるのかという驚きを、私は今なお日々のセッションで感じ続けています。鬱で7年間薬を飲み続けていたクライアントが、SEセッションを受け始めて3ヶ月で薬をすべてやめることができ、半年で仕事に復帰したり、解離性人格障害のクライアントが、SEセッションを続けているうちに少しずつ別人格が消えていき、最後に自分の本人格だけになったりしたこともありますし、SEセッションを1回行っただけでリストカットが止まるケースも珍しくありません。どれもこれも、トラウマ症状を神経系の過剰活性化の現れと見なせば、ちっとも不思議な話ではないのです。 そして、SEのうれしい副産物は、セラピストとしての自分が疲れないことです。セラピスト自身のアジェンダや先入観、仮説は一切必要なく、目の前にいるクライアントの身体の叡智を100パーセント信じればいいだけだと、彼らの目先の症状がどんなに重くても、それによって動揺することがなくなります。逆に、こんなに重い症状を抱えているのに日々生き続けられる相手に対する畏敬の念で満たされ、クライアントの皆さんから元気をいただくこともしょっちゅうです。 身体につながるとは、非常にスピリチュアルな体験でもあると言えます。つい最近も、SEセッションを「スピリチュアルカウンセリング」と呼んだ新しいクライアントがいましたが、SEのセッションでスピリチュアルな体験をすることは珍しくありません。エックハルト・トールが言うように、思考が自我の食料であり、自我が人間の苦しみの原因だとすれば、身体感覚に意識を向け、思考をバイパスすることで自分のエッセンスにつながれるのもまた、当然のことなのです。 (日本トランスパーソナル学会ニュースレター 2013年1月号掲載) #
by premacolumn
| 2013-11-14 06:30
| トラウマ
2012年 09月 30日
季節の変わり目、体調を崩しやすい時期ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
今回は、 『 心と身体のつながり 』 についてのお話をします。 心と身体はつながっています 普段、私たちは心と身体を分けて考えがちです。 でも、本当に心と身体はバラバラに機能しているのでしょうか? 例えば、不安、うつ、恐怖症、パニック障害、夜眠れない……といった心の問題で困っているとき、皆さんの身体ではどんなことが起きているでしょう? 落ち込んでいる時→身体や胸が重い、だるい、疲れている… 不安、恐怖を感じている時→心臓がどきどきする、冷や汗が出る、胸が苦しい、呼吸が浅い… 夜眠れない時→身体が緊張している、手足が冷たい、呼吸が浅い……等々。 こんなことが身体で起きているのに気づいたことはありませんか? それから、学校やバイトに行きたくないな…と思ったとき、 本当に頭やお腹が痛くなったり、熱が出たりしたことや、 どうしても行かなくちゃ…と思っても、身体が固まって、足が一歩も前に出なかったということはありませんか? また逆に、とてもうれしいことがあったり、ワクワクしたり、幸せな気分になったとき、 胸がいい感じでドキドキしたり、ほわっと温かくなったり、手足にエネルギーが満ちあふれたり… といった体験をしたことはありませんか? 以上の例からも分かるように、心と身体は非常に密接につながっており、本来、分けて考えることはできないのです。 (詳しい説明は省きますが、それには自律神経系の働きが大きく関係しています) 心は本来、頭よりも、ずっと身体に近い場所で働いています。 以上を踏まえ、心が疲れた時に早く元気になる秘訣を、皆さんにこっそりお伝えしようと思います。 それは、「心地よい感覚とつながる」ことです。 心地よい感覚というのは、例えば、 温かい やわらかい 落ち着く すっきりする 軽い わくわくする 楽に呼吸ができる …などといった身体感覚のことです。 ちなみに、「感覚」と「感情」の違いはお分かりでしょうか。 「感覚」は上記のような「身体で感じる感覚」のことであり、 「感情」は「うれしい」「楽しい」「悲しい」「寂しい」「怒っている」「怖い」といった心の動きのことです。 癒しが起こるためには、上記のような「感情」を、身体レベルの「感覚」にまで落として、それに身体で気づくというプロセスが必要不可欠です。 「そうは言っても、つらい時に心地よい感覚になんかつながれるわけがないよ」 皆さんの中には、そう感じる方もたくさんいらっしゃるかもしれませんね。 ではここで、「心地よい感覚」とつながるための秘訣をお教えしましょう。 それは、 「自分が好きなこと、元気が出ることを体験する」ことです。 自分を元気にしてくれるものは、もちろん人によって違いますが、 一般的には、次のようなものがあります。 家族、友人、先生など自分が好きな人たち ペット 音楽 自然 趣味 スポーツ おいしくて栄養のある食べ物 お気に入りの場所 やりがいのある勉強や仕事 自分の性格で好きなところ 宗教やスピリチュアリティ ……などなどです。 こういった、自分を元気にしてくれるものを、英語では「リソース(資源)」と呼んでいます。 あなたのリソースは何ですか? どんどん、自分でこのリストに加えていってみてくださいね。 リストができたら、こうした自分のリソースを実際に体験したり、思い浮かべたりしてみてください。 その時、自分の身体ではどんなことが起きているか、身体感覚に注意を向けてみましょう。 そうですね、試しに、自分の好きな人をちょっと思い浮かべてみましょう。 そうすると、身体では何が起きますか? 胸がほわっと温かくなったり、身体の緊張が緩んだり、呼吸が少し深くなったりしていませんか? これが、さきほど書いた「心地よい感覚」です。 こうした感覚に気づいたら、ただしばらくその感覚を味わってみましょう。 そしてまた、自分が元気になることをどんどん実際に体験してみましょう。 このような体験を繰り返すことにより、少しずつ心が元気になっていきます。 だまされたと思って、どうぞ一度試してみてください。 そして、「自分で試してみても、どうも今ひとつ元気になれない」という時は、いつでも学生相談室にお越しください。 一緒に元気になっていきましょうね。 (天使大学学生相談室ニュースレターより) #
by premacolumn
| 2012-09-30 12:35
| 癒し
|
ファン申請 |
||